« 食のワンダーランド | トップページ | 六月の終わり 適応について »

2017年6月28日 (水)

「不安な個人、立ちすくむ国家」 経産省若手官僚は

この一週間、経産省の若手官僚の提言「不安な個人、立ちすくむ国家」を読んで残念に思う気持ちが消えないでいた。

しかしこのブログにふさわしくない記事になると考え、記事にすることをためらってきた。

しかし気持ちの整理をするのは必要かもしれない。自分が何に対して残念と思っているかを代謝することは許されるだろう。

ネットでは様々な論客がこの提言に対し論評を加えている。

その代表的なものを何本か読み、ボクの感じている「残念な気持ち」は決して的外れなものではないとわかった。

しかしここでこの提言の批判を展開する気持ちにはなれない。脱力感がある。

「本当に、日本の官僚は大丈夫なのだろうか?」

そんな思いがこの提言を読んで脱力感に襲われた理由の一つなのかもしれない。

20代から30代のこれからの日本を担う官僚たち。

生活実感の希薄な視点。世界や社会を経産省という組織の中で捉えているのかという視野狭窄。

もっといえば解雇されることのない身分保障が前提となった思考。

そのようなことを懸念する。

社会に出て、矛盾に満ちた現実にもまれ、鍛え上げられた知性や広い視野はどのような政策に結実するのか?

上手にまとめられたppt。
しかしデータは恣意的で今日本が取組んでいる施策への理解も不足している。

市井に住む人々について、少し上から目線が感じられる。
「昭和の人生すごろく」と名付けられた、彼らのいう人生設計モデルも、随分なものである。

おそらくこういうことなのであろう。

経産省という組織で感じている閉塞感が「不安な個人」という提言の元にある。つまり不安なのは提言をまとめている若手官僚たちなのかもしれない。

「立ちすくむ国家」というならば、経産省はどのようなビジョンを持つのか?

私たちは立ちすくんでいる訳には行かない。

故・三島由紀夫氏の著作に「僕たちの失敗」という小説があった。
戦後実際に起きた事件に基づいた小説のことを、ボクは思い出した。

提言の前に、自分たちが何をしてきたか?何ができなかったか?の総括をすべきだ。

組織の限界への認識、そしてそれでも組織にできることを問うべきだ。

自分たちができること、自分たちの組織がしようとしていることは何なのか。
それを知りたい。

組織を出て、自ら自分の人生を切り開いている、あるいは切り開こうとしている人々が、このニッポンに沢山いる。

そのような人間がこの提言に、どのようなことを思うか?

この提言を読んで不安になった大人のひとりとして、そのようなことを考えた。





|

« 食のワンダーランド | トップページ | 六月の終わり 適応について »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 食のワンダーランド | トップページ | 六月の終わり 適応について »