2008年10月10日 (金)

19年で85万匹・・・ノーベル化学賞

ノーベル化学賞を受賞された下村教授は、アメリカ西海岸で19年間に85万匹のクラゲを捕ったと云う。

一家総出でのクラゲ捕りが唯一の家族旅行ということで、「子どもたちは楽しくなかったみたいですね」と妻・明美さんの談話。(日経新聞より引用しました)

家族の応援なくして、85万匹(!)も捕ること かなわなかった訳である。

ノーベル化学賞受賞は、きっと家族の支援の賜物であろう。

ご家族のみなさまの想い出の19年間に、栄光あれと願う。

まるでドラマを地で行くようなエピソードだと思った。

19年間もの間、ご家族は<ラ・マンチャの男>の話題を避けずにいられたかを、実は知りたいものだ。

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2007年7月22日 (日)

青山学院大学 オープンキャンパス

息子の受験の下調べに青学のオープン・キャンパスに付き合った。

Photo_382このマスコットは、明らかにボクをみてる。

「この人は何者だろう?」という視線。-父兄です。

Photo_383雨上がりのキャンパスに来年受験を希望する生徒が集う。さすが女性もお洒落な感じ。桑田君のイメージと一寸違います。

Photo_384チェア・リーダーとブラスバンド。それに応援団。

応援団、ちょっと太り気味っす。

Photo_385聖書の言葉がある。

昨日も今日も変わらぬ一貫性。あらまほしきかな。

Photo_386地の塩について考える。

世の光について考える。

Photo_387そして、柔和な人でありたく思う。

実社会の荒波を知る身には、学内の平穏を守りたく思う。社会が大切にすべき環境。

21世紀を担う人材は、間違いなく若者たち。

たくさん学び、恋し、生きてほしい。生涯の友をつくってほしい。

狭き門をこじあけ、入ってほしい。

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2007年7月 8日 (日)

慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科の説明会

土曜の三田キャンパスで説明会に参加した。

創造社会を先導するメディア・イノベータを育成するという志を、デザイン・マネジメント・テクノロジー・ポリシーの4つの領域に配置された教員から夢のあるスピーチを聴いた。

教室も一杯で慶應の学生のみならず社会人の姿も多かった。約一時間の説明時間が超過して熱っぽい時間が過ぎていった。ボクはいろいろなことを考えながら会場を後にした。

まず考えたことは、二年間の修士課程を、仕事と両立してできるだろうか?ということ。

次に経済的に学資が持ちこたえられるか?ということ。子供の大学進学とまさか自分の大学進学という可能性が一緒になることは想定外だ。

三番目は、さまざまな困難を乗り越えて、自分がこの研究科に学ぶ意義が本当にあるか?ということ。

この三番目の問いが、一番重要だった。

こんなことを考えた。

20代で学ぶ人と自分が学ぶことの決定的な違いは、人生の残り時間の総量。自分の人生の総仕上げに役立つ研究ができるかどうか?ということが重要な見極めとなる。

そのときにひとつの言葉が浮かんだ。「何をやらないと決めるか?」何をしたい、ではなく、何をやらないと決めることが生きる上でとても有効な判断となる。時間は有限と知った時、あれもこれも手を出す楽しさより、深い井戸を掘り進める忍耐とエネルギーの集中の方を選択しなくてはならない。自分は今その時を生きている。

「何をやらないと決めるか?」という問いに向かう時、このメディア・デザイン研究科の4領域はボクには広すぎるような気がした。夢を実現するには戦略と禁欲とが必須。自分はどこに立つか?どこに到達したいのか?

その根源的なテーマに向き合わせてくれたことが、土曜の午後の1時間の収穫だった。

いずれ大学院に進む道を選ぶ気がする。その時の勉強は社会貢献に役立つテーマの研究に絞られることになるだろう。

自分の未来にしっかり戦略が描ける・・・本当はそのステージにボクはさしかかってる気がする。

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2007年7月 6日 (金)

慶應義塾大学の新大学院の説明会が明日ある

余りの暑さに水分補給をしようとカフェに立ち寄った。そこに置いてあった雑誌「AERA」に目を通してたら、社会人向けの大学院の広告企画に出くわした。

慶應義塾大学が来年、創立150年を迎えるにあたり、新たに2つの大学院を新設すると云う。そのうちの一つが「メディアデザイン研究科」。

丁度明日(7/7)、三田キャンパスで説明会があるらしい。勢いとは恐ろしいもので早速netで事前申込みをした。明日は慶應の三田キャンパスにいるという訳だ。

昔と一番違うのは、技術革新が激しいこと。internetを軸とする社会変革の波を皆が浴びている。netに関わらずにいられない業界では、毎日勉強し続けることだけが、生き延びることに繋がる。逆に、勉強しなければ、おマンマを食えないという「今そこにある危機」に気づいてから久しい。

会社でも大学院でMBAをとる人間がでてきた。絶えず視野を広げ学び続けていきいたい。

この暑さで喉を潤そうと思ったカフェに、新しい未来にふれる機会があったとしたら・・・・。人生には、無駄な時間などというものはないことになる。

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2007年4月11日 (水)

東京芸術大学大学院 映像研究科といえば

ビートたけし、あっいや北野武氏が教授を務める国立の映画制作学科。その第一期生の修了作品展が近々開催される。

Image003_2横浜の地下鉄みなとみらい線・馬車道駅にある東京藝術大学馬車道校舎。

Image004_1 芸術 ではなくて 藝術。昔の銀行の建物が改装されて校舎となっている。

中には立派な試写室もあった。

Image007_2 『四谷怪談』はあの四谷怪談を現代劇に移植した女性監督の力作だった。

黒沢清監督がちょこっと出演してる。そこは全然怖くなかった。けれどじわじわ怖くなり、怖いのがダメなボクは、目を閉じてサウンド・トラックを聴いていた。

だからこの映画を見たとは正確にはいえないけれど、なかなか商業的にもイケル気がした。夏には一般公開されるらしい。

監督の池田千尋さんに紹介された。話すうちに「大先輩ですね」と云われたので聞くと都の西北の大学の演劇学科でボクの恩師に教わってたことが判明。

うれしくもあり、また頼もしい。

女性の方が、パワフルなのか。何かを突き抜ける迷いのなさを感じた。これからの日本映画は、女性監督で隆盛するかもしれない。(男の子もがんばって。)若い才能に出会えることは、本当に楽しい。

そう、お楽しみはこれからだ。 関連コラム⇒ 

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2007年3月20日 (火)

パーフェクトな胴体着陸

AERA'07.3.26号で、3/13ANA胴体着陸の機長(36)の記事を読んだ。

ボンバルディアDHC8-400型という飛行機名が有名になった。記事を読んで胴体着陸を成功させるに至る前に、機長が行ったことを知った。

Image007_1急旋回して前輪を遠心力で出すことを試みている。

手動で前輪を下すのはパイロット人生で一度あるかどうか、今回は手動さえ使えなかった事態だそうだ。

Image008機長の機内アナウンスは、前輪を出すために急旋回をしてるので、重力(G)が大きくなり背中が座席に押し付けられるかもしれないこと、胴体着陸を試みるが何回も訓練してるので大丈夫なことを伝えた。

乗客たちは、機長のアナウンスで冷静になれたそうである。

機長はコツコツと「フライト資料」と呼ばれるノート作りを続けていた。操縦する機種に関すること。システムのこと。機体のクセ。過去のトラブル。

同僚パイロット間でも有名で、後輩がそれを借りて学ぶこともあったという。

いかに危機を乗り越えるかは事前の準備にかかっていると元全日空機長の話。機長がやった「当たり前のこと」。

プロフェッショナルならばその当たり前のことを営々とやる。

ボクはこの記事を読んで、自分の領域で、当たり前のことをしていこうと心に誓った。

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2007年2月 8日 (木)

私立大学 受験本番!

いよいよ長男の大学受験の本番だ。

昨日今日明日、三連戦の長男は、意外にも淡々としてる。(ひょっとすると大物か・・・。)

海辺の町から都心まで一時間半かかる。親バカは、都内に宿泊のPhoto_40 場を確保した。今週三連戦、来週三連戦。随分受けるね。どこか希望の大学へ合格することを願う。

本人が希望する大学に入れれば。ただそれだけでいい。

気負っているのは親の方。

Photo_41淡々と実力を発揮して、次のステージに進んでほしい。

どうも仕事に実が入らないなあ。

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2007年2月 1日 (木)

黒川紀章ー天才から学ぶこと

国立新美術館で「黒川紀章展」をみた。

名古屋時代、彼の建築である「名古屋市美術館」によく足を運んだ。自然光が気持ちよく館内に取り入れられ、心和む空間だった。「共生の思想」や「メタボリズム」「花数奇」といった彼のキー・ワードはどこか日本人のDNAに根ざしている。

RETROSPECTIVE OF KUROKAWA KISHO

大きな空間の中で、彼の思考の歴史を辿るのはいい体験だった。

天才は日々秀才である。本当の勉強家である。彼はデッサンを一日もかかしたことがないと以前読んだ。夥しいデッサンを見る機会に今回恵まれた。

世阿弥は「稽古事には一日も体を休ませてはいけない」と云った。黒澤明は「仕事は一日も休んではいけない」と語った。

稽古事や仕事というのは、会社にあるものではない。

黒川紀章の天才は、自らが有限の存在であることを知っている。壊れ年老いる肉体という容器の中で、時と競争してる気がした。

凡才であるボクはもっともっと時間を上手にコントロールしなくては。勉強しなくては。

Photo_39出口で、日本刀を携えた黒川紀章 さんに気合を入れられた・・・。

神さまは誰にも公平に、時を与えてくださった。それをどのように使うかは、あなた次第。

◎黒川紀章氏のhpはこちら⇒ 

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2006年12月29日 (金)

明日のことは明日自らが

29日の日没。鳥が風に乗りながら風を遊んでた。

P1010019_1P1010017_2P1010016_4 Look at the birds: they do not plant seeds,gather a harvest and put it in barns; yet your Father in heaven takes care of them ! (Matthew 6-26)

港はお正月を迎える準備を終えてた。月が昇り、陽は沈む。

P1010023_1P1010024_2P1010020_2 冬の黄昏。すみれ色の空。

なのに何故、君は思い惑う?

So do not worry about tomorrow; it will have enough worries of its own. there is no need to add to the troubles each day brings. (Matthew 6-34)

何も思い悩むことはない。明日また陽は昇る。

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2006年12月28日 (木)

御礼と聖書

年末最後の仕事で<ほぼ徹>をしてます。いつも携帯してるのPCからのコメントはIP制限でblogにUPできませんでした。そこで、この記事を書くことにしました。)

昨日の事故のことで、皆さまにご心配をおかけしてしまいました。また温かい励ましの言葉を頂戴しました。とても勇気づけられました。本当にありがとうございました。

身体に怪我などなく、ご安心ください。その後しばらく心がクラッシュの瞬間を反芻するので、それを鎮めるようにしました。それは今では鎮まっています。おそらく事故を引き起こした女性の方が僕より深いダメージを受けていると思います。それが気がかりです。

僕のクルマとの関係は、相棒と呼べるくらい深い関係があり、今回のことも、<彼(男です)>は傷ついても文句一ついわずに守ってくれた。そう感じました。逆に傷つけてしまったという痛みが僕の方に残りました。早く修理してあげて前より大切にしてあげよう、二度と怪我をさせないようにしてあげよう。そう思います。修理工場の話によると、乗ってるクルマの安全対策でほどこされた車体側面強度のお陰で、激しく追突されたものの運転席の僕は守られたという説明を受けました。

最後に聖書のことを少し。僕も宗教としてではなく、聖書を人類最大のベストセラーとして捉えています。叡智の書。深いコトバの数々。

今朝はこの言葉が心に残りました。

パンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。コヘレトの言葉十一・一

大切なものを空しく無駄にする時がすぎたとしても、いずれ明日に生きる。無駄なことは何もない、という解釈。

辛く残念な事態でもきっと何か意味がある。その片鱗を僕は多分、掴んでいると思います。ありがとうございました。

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2006年12月25日 (月)

朝の労働 午後の思索

週末の朝、海に出た。海の男たちは働いてた。

P1010005_2P1010006働くなら朝がいい。太陽に祝福されて。自然の摂理に従いたい。

Image02303_1Image02401遅い午後、図書館の帰りに公園へ。すっかり冬支度。夏の緑陰で本を読んだ記憶が甦る。

さあ、新しい一週間がはじまる。

2006年の仕上げと2007年の準備にあてよう。 

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2006年12月16日 (土)

「映画甲子園」というweb siteが

昨日Open。

「映画甲子園」というのは高校生の自主制作映画コンクール。第1回が今年開催され全国から70作品以上が寄せられた。第2回は来年秋に開催される。そのweb site

昔自分も8mm映画を造ってた。その共感がある。だから高校生を応援したい。今の高校生は大変だもの。

Charie’s Movie Cafe

友人のチャーリー・ブラッカイマー氏にコラムを依頼。高校生に映画の素晴しさを伝えてくれるはず。

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2006年11月29日 (水)

センス オブ オーナーシップ

sense of ownershipー自分の仕事に対する全権意識。-全て決め、全てやり、全て負う

経営コンサルタント・波頭亮(はとうりょう)氏の新刊『プロフェッショナル原論』(ちくま新書)の一節。

今まで全部、自分の仕事は自分で造ってきた。成し遂げてきた。そういう星の下に生れた。だから今更僕の仕事に手を貸そうなんて・・・。僕はお願いしていない。

大きな仕事をクライアントから指名で任された。その仕事の契約がまとまる過程で不思議なコトが続いた。それもたった一日にー。

Vfsh0245通りすがりに、お金を貸してと頼まれた。交番を紹介した。三時間後また見ず知らずの人に無心された。会社で困ってる人々の悩みを聞いた。彼らは何らかのヒントかパワーを僕から得たがった。それからあるクライアントの仕事を断った。断るなんて、信じられないという感じが辛かった。僕は困った人の力になりたい。けれど僕は僕の時を生きてる。そしてその時間は有限だ。

Vfsh0224恵まれた環境を用意して全権を委任してくれたクライアントに対し、僕は忠誠を誓う。自分に賭けてくれたクライアント。もうそれは金ではない。相手のその気持ちがうれしい・・・。だからやる。死ぬ気でね。休みなしでも平気だよ。

Vfsh0244厳しい戒律で生きてきた。だから欲目当てで近寄ってくる人間がとても哀しい。内心の声がささやくー「お前はやさし過ぎる。だから付け込まれる。斬って捨てろ」・・・そんなコトができないから悩むんだ。

作家や作曲家がみんな仲良しこよしで創造してるかい?女の人はみんな一緒に出産するかい?

たった一人で生むのさ。来るべき世界のためにね。

Vfsh0241プロフェッショナルのそんな心意気を波頭亮は書く。僕はその言葉に支えられ、今を戦う。

そうさ。最高のものを造って必ず自分に勝ってみせる。

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2006年11月25日 (土)

土曜の朝 白いベストセラー

振り仰げば飛行機雲。上空に朝の光が射す。パイロットは日の出をみてる。

P1010005_1P1010007_2P1010008_3神さまからみれば僕はこのような航跡を描いてるのか?

迷走してない?きれいかな?

子供の頃の飛行機雲。ユーミンのアルバムの「ひこうき雲」。そして今の飛行機雲

昨日My Prj.の原稿を書き終えた。恩師から書くよう薦められ三年経った。毎年の年賀状がプレッシャーだった。友人に原稿の督促役をして貰った。昨日がその締切日。

Vfsh0218Vfsh0217Vfsh0219見上げた朝の空。そして正午の待ち合わせ・・・。・・・終わった。

これから推敲や修正を加えようとも、11.24が終わり。破綻と瀕死の原稿。三年間の霧の滴(しずく)。それが僕なりの飛行機雲

La guerre est finie.

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2006年11月23日 (木)

amazonから 世界遺産DVDが

到着。22日(昨日)発売の「TBS世界遺産 Relaxing&Energy」。

Vfsh0212青いパッケージは、お疲れ気味のあなたに。ゆる~い映像と心地よい音楽が眠りを誘うかもしれない。観ながら寝るも良し。

Vfsh0214 赤いパッケージは、地球のパワーをあなたに。少し動きのあるダイナミズム。ちょっと元気を充填サプリ。

このDVDのweb promotionを友人に頼まれ手伝った。やはり愛着が湧く。楽しい仕事だったから。なので自分もamazonで予約した。昨晩遅く帰宅して書斎にamazonのパッケージが・・・。早い。やはりうれしい。手間隙かけて造られたものは、いい。

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携帯に残ってたmtg中の画像。大の大人たちが手作りで。心に悩みを持つ人々に観てもらいたいと話し合った。

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「癒し」と「元気」。

映像を造る行為自体がロマンティックなのだ。

ロマンチックは、きっと誰かに届く。そう願う。

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2006年11月 3日 (金)

KDDIさん もっと大らかに

KDDIはSoftBank「¥0」広告に対する申告書を公正取引委員会へ提出、と新聞朝刊は報じた。みいんな、おとなげないなあ。

この広告を扱った新聞社と大手広告代理店の見解を聞きたいものだ。広告審査を通した新聞社はこの広告出稿で儲けてる。広告会社は広告のプロ。その広告に落度があるなら広告会社を業務停止処分にすべき。広告屋さんもSoftBankから多額の商いを得、儲けてる。そちらは皆さん不問です?みいんなSoftBankが悪いの?

(KDDIの大量TVスポットに文句いわないのは、仲間由紀恵のファンだからです。)

KDDIもDoCoMoもSoftBankも似たような広告代理店を使って同じ媒体社を使ってどうでもいい広告を打ってる。一切広告打たないで。その分お安くしてくれれば消費者は満足します。

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2006年10月29日 (日)

雨上がりの図書館で

朝から過すのが好き。ほとんどの日曜はそのような過し方になった。

Vfsh0062_6雨の日は客足が遅いので、好きな席を確保しやすい。窓辺に緑がみえる席がお気に入り。そこで原稿を書いたり、本を読んだり、雑誌をめくる。

Vfsh0060_3秋は急速に深まり、黄葉が始まってる。気温も下がり秋は晩秋に向かう。10月最後の日曜日はいつもとかわらない。

そう。

いつもとかわらない時間がうれしい。

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2006年10月16日 (月)

図書館から借りた本

ある企画を深めるためにまとめて図書館から本を借りた。返却日の2週間後までにこの企画作業は終了する。なので入念に選んだ。

①『花鳥風月の日本史』。②『特攻』。③『特攻へのレクイエム』。④『特攻隊員たちへの鎮魂歌』。⑤『風と遊び風に学ぶ』。⑥『千の風になって』。⑦『ライフ・レッスン』。⑧『永遠の旅行者(上・下)』。⑨『プラトン入門』。⑩『俺、南進して

幾つかの図書館と仲良しなので、毎週日曜日、一週間毎交代で本を借りることを閃いた。そうすれば返すのが簡単だしたくさん本を借りられる。現在僕の書斎には約20冊の図書館本が待機。

本は素晴しい。たくさんの専門家が待機してくれている。

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2006年9月19日 (火)

メタボリックな君よーダイエットの朝

幸せは周囲に人を集めるという。ついでに脂肪までよく身についてくるの?まだ肥満体ではない。けれど体重は「史上最大の作戦」だ。

自転車をやるから大腿部に筋肉がつく。けれどそれ以上にお腹を話題にね。メタボリックな君よ。

今朝からダイエット食品の配給あり。スープにビスケット2枚。99Kcal。意外に美味。一日気をつけて。①ジュース類(糖分含有)禁止。②間食禁止。③コーヒーに砂糖禁止。禁止、禁止、禁止。ドラッグストアでコンニャク系のお菓子を買おう。

千里の道も一歩から。10月には少年のような身体になってやる。

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映画「浮雲」を観て

駄目男の系譜。成瀬巳喜男の傑作と謳われる映画だけど、ふ~んこれが傑作?という感じ。森雅之の駄目男。高峰秀子の尽くす女。「花のいのちは短い」時代の物語。

今は昔、大地真央がニッセイのTVCMで「花のいのちは結構長い・・・」と歌ってから久しい。今なら高峰秀子は森雅之をさっさと捨てて他の男と幸せな人生を送るだろうし、そうしてほしい。

仏領インドシナでの思い出が戦後の引き揚げた二人の逢瀬にかぶる。音楽がボンゴとクラリネットで南方風の響き。子供の頃みた「怪傑ハリマオ」というTVドラマを思い出した。時代考証も希薄なイメージはどこかヘンテコリン。けれど「浮雲」が傑作であることに異論はない。駄目な男は魂を失った男の哀しみの姿。女はそれに身を捧げる。最後の高峰秀子のクロースUPを撮る為にこそこの映画はあったと言わせる程の美しさ。全てを捧げて悔いがない女性ほど神々しい存在はない。安住の地が死であったとは。

フェリー二の映画「道」を思い出す。最後に泣き濡れるザンパノ(アンソニー・クイン)と森雅之は兄弟である。共に敗戦国(イタリア・日本)の戦争直後の男の姿なのだろうか。

「秋津温泉」で長門裕之演じる駄目男は、そんな彼らの弟だ。そして全ての男は駄目男ということなのだろう。

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2006年9月18日 (月)

図書館から借りた本 7冊

ひさしぶりにまとめ借り。書斎の本棚に図書館用の棚をつくってある。そこに並べる。二週間だけ僕のもの。

①『富の未来』(下)アルビン&ハイジ・トフラー。②『クオリア降臨』茂木健一郎。③『快脳論』千葉康則。④『小説作法』片岡義男。⑤『生きるという航海』石原慎太郎。⑥『真珠湾の真実~ルーズベルト欺瞞の日々』ロバート・B・スティネット。⑦『巨大地震が来る!』

二週間で少しは賢くなる。①と⑦は近未来への適応のために、②と③は脳のハンドリングのために、④と⑤はモノづくりのヒントに、⑥は好奇心で。

本を並べると、自分の関心領域のマインド・マップがみえてくる。

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2006年9月17日 (日)

連休二日目は

長男と図書館へ。受験勉強のお供はオーディナリーな日曜の習慣。Vfsh0055_6 Vfsh0056_5 彼のお気に入りの海の傍の図書館に。9時から勉強を始めて11時に小休止。お弁当を買って海岸に。海をみながら早めの昼食。

2時まで勉強し、スーパー銭湯へ。雨が降り始める。お風呂からあがって大広間でお勉強。親子連れがほとんど。ほぐれた身体にほぐれたアタマ。長男は日本史のお勉強。

やっぱ変わった親子かも。でも知ったことか。幸せならばそれで良い。我が家の形は我が家でつくる。

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2006年9月11日 (月)

映画「天国と地獄」

久しぶりにみた。何回目もみてる。その度に発見がある。クロサワ1963年発表の骨太の娯楽サスペンス大作。児童誘拐をテーマに三船敏郎と山崎努(デビュー)の一騎打ち。ただし剣は使わない。現代劇。仲代達也が警部(善玉)で。悪役の方が似合う存在感。

とにかく面白い。クロサワの映画は情報量が多い。一画面に多人数の刑事がひしめく描写などクロサワならでは。そして後世の映画に多大な影響を与えた。『踊る大捜査線』にも。

今回みて発見したこと。三船演じる靴メーカー常務・権藤はクロサワのメタファー(暗喩)だ。三船が描く権藤は魅力的な中年男性。職人気質。叩き上げで靴をつくることにかけては余人に負けない。そして仕事を愛してる。この男の人生の危機が結果として揺るがないのも自らの仕事に対する絶対的な信頼からくる。

この「靴づくり」を「映画づくり」に置きかえれば判る。1963年は東京オリンピックの前年。オリンピックを契機にTVはカラー化が進む。映画は娯楽の王者から転落していく。クロサワと権藤は一卵性双生児。

映画の造り方がクラフツマンシップで造られてる。だから40年以上経っても充分娯楽になる。映画は博物館で楽しむものではない。いつも観客にとっては今の時間の充実のためにある。

この映画にはクロサワの辿るその後の運命が予見されてる。それは高度経済成長で日本企業が切り捨ててきた創造性。クロサワが生きにくい日本に日本は邁進した。結末はハッピーエンドのはずが、決してハッピーではない。

不思議な結末である。

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2006年9月 9日 (土)

『羅生門』を Denny's シアターで

観終わった。昔は映画館かTVで。いまではいつでもどこでもPCで映画が観れる。

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今朝は海辺のDenny'sへ。6時からモーニング・サービスがはじまる。けれど僕はその前に来るEary Bird。トーストとホットコーヒーで『羅生門』を観た。店長さんがいつものように挨拶にみえる。

まるで偉くなった気になる。いつも早いので目立つから?でもうれしい。

昨日Appleの店員さんと話して判ったことだけど、DVDの情報量は多くてTVよりも液晶のPCモニターの方がディテイルが再現されるらしい。それは本当だ。羅生門に降り注ぐ土砂降りの雨はひょっとしたらお湯じゃないかと思えるほど、湯気が足許から上がってる。水蒸気の立ち上り方が雰囲気をつくってる。

『羅生門』はクロサワの豪胆さが構成に活かされてる。「藪の中」に「羅生門」をくっ付けたことが活きてる。

冒頭と最後の崩れかけた門は、「地獄の門」であると共に「天国の門」である。それをクロサワが意図したかは判らない。創造では無意識が造型に昇華することがある。

人間存在の闇を描きつつも赤子を抱きしめ歩みだす志村喬に希望を託したクロサワにあたたかな眼差しをみた。紛れもない傑作。真の映画的快楽に満ちている。

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2006年9月 6日 (水)

ゼロ戦をひとりで

設計してるようだな。-ふっとそんな比喩が頭に浮かんだ。大切なのは持続する志ー。そして実現させること。設計段階でくたばる訳にいかない。

仕事にはいろいろなフォーメーションがある。現実の社会では9人で戦ってるはずが、たった一人で戦ってることに気づくこともある。戦いの途上、敗れるとわかる局面もある。それでも戦いを止める訳にいかない。どう着地するか。戦いには戦い方の他に、始め方と終わり方がある。

僕は広告会社で仕事を覚えた。プロデューサーは優秀なスタッフを確保してクライアントから予算を獲得し、仕事の環境を造る。スタッフ全体を監督し素晴らしい仕事を仕上げ、クライアントに満足して貰う。そういう流れがあった。

今いる会社は広告会社よりずっと"現代的な会社”だ。“現代的な”というのは何も前例がないこと。一から全てを自分でする。いつも事を成すのは、ひとりから始まる。

僕は一流のプランナーではない。どちらかというとクリエイターだ。だからプロデューサーという職務権限で仕事ができる時は一流のプランナーを雇う。脚本家は優秀でなくてはならない。けれど現代的な会社では、まず僕がプランナーをする。そしてプロデューサーらしい仕事もして営業して後始末する。けれど自らの双肩にかかりすぎるのは良くない。だから外部のブレーンを動員する道をとろう。多くの才能と智慧を集めることが要諦だ。

ゼロ戦をひとりで設計することはできない。100年かかってしまう。だから今回はグライダーを設計しよう。賢いヤドカリは自分の体にあった貝殻を探す。

僕もそろそろヤドカリの智慧を身につける時だ。

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2006年8月30日 (水)

東京都写真美術館

夏の光が射していた。

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エントランスに至る回廊が素敵。空間設計の中に知性と趣味のよさが感じられる。

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おすすめの企画展。映画「追憶」」の原題:The Way We are.をもじったか。

things as they are-「絶望と希望の半世紀」.世界報道写真50周年記念展。

9/10(日)まで。9.11の前日まで。あえて“必見”といわせてください。次期首相候補の方々もどうぞ。

写真美術館のhpは⇒パシャッ

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2006年8月25日 (金)

さらば冥王星

冥王星が“降格”されてしまった。惑星の地位を失ったともいわれる。「太陽系惑星の定義」について国際天文学連合がプラハで採決した結果という。

水金地火木土天海の8つの惑星の軌道が同じテーブルの上を回ってるのに比べ、確かに冥王星だけが斜めに回ってる。惑星から降格されたのは軌道上に他の天体があるからだそう。小さな惑星を意味するドワーフ・プラネットとこらからは呼ばれる。

研究者による投票の結果というが、どことなく笑えるお話だ。研究者よりも冥王星の方がずうっと先輩なのに。解釈の仕方によって世界は違ってしまう。正しい正しくないなどを自然や宇宙にあてはめようとする愚かさ。創造主でもないのに命名し分類し降格させるなんて。科学が正しいなどと信じてない僕は、なぜか冥王星に親近感を感じている。太陽系の果てに冥王星がひとり孤独に太陽の周りを回ってるという宇宙観が大切なのだ。宇宙戦艦ヤマトはどうすればよい?

どうぞ天文学者のみなさん、太陽系をずっと小さな世界として認識しててくださいな。

冥王星は今もだまって遠い彼方で太陽との重力場のドライブをきかせて、運行してる。天文学者の運命をさらに超えてはるか未来まで。

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2006年8月23日 (水)

モレスキンー伝説のnotebook

Moleskine.「モレスキン」と読む。過去2世紀に渡って欧州の知識人やアーティストに愛用されてきたノートブックである。ファン・ゴッホやパブロ・ピカソ、アーネスト・ヘミングウェイなどが知られる。ポケットサイズの旅の友でもあった。サイズは13×21cm。作品が世に出る前のスケッチ、走り書き、ストーリーやアイデアを温める役割をになってきた。

元々フランスの小さな製本業者によって生産され、パリの文具店に卸されてたが20世紀には入手困難となり1986年には最後の製造者も廃業。それが1998年イタリア・ミラノの小さな出版社によって甦った。黒い厚手の背表紙、生成りに近い紙質。黒いゴムバンドが一本背表紙にループとなり、閉じた状態で止められる。

昨晩、伊東屋で二冊買い求めた。一冊は自分用に。もう一冊は相棒に。昨日新たなプロジェクトが始動した。そのプロジェクトが成功することを祈念して奮発した。一冊@約2500円。計5000円也。

以前使ってみて凄く使いやすかった。僕が好きなのは5mm方眼が印字されてるSQUARED NOTEBOOKのLarge size:240pages。相棒には横線が引いてあるRULED NOTEBOOK。

ここに刻まれていくアイデアがやがて表にでる形となっていく。今日初めて最初の一文字を記す。

伝説は造られるもの。そしてそれは行動によって造られる。

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2006年8月21日 (月)

夢に期限を設ける

一週間がはじまる。早朝から残暑が厳しい。セミも最後の力を絞って鳴いてる。僕はもう一度自分を追い込まなくては。

やろうと決めたコトをまだ仕上げていない。根気のいる難しいコトだからコツコツと片付けなくては。一体あの決心はどこにいった?Where have all the flowers goon?

オーディナリーな日常を過ごしてたら、夢は夢のままで終わってしまう。人生の最後にThe Endだ。時間は無限ではない。夢幻のように消える。夢に期限を設けて夢の実現をロックしなくては。

何かを自分に禁じよう。自分の好きな習慣を夢が実現するまで断念しよう。よし、お酒と甘いジュース類を禁止だ。今夜久しぶりに友人と飲みに行く。けれどお酒は禁止。内なるドクターstop。トニック・ウォーターでおすまし。口惜しかったら、夢を実現すればいい。そして祝杯をあげよう。一番高いお酒で祝杯をあげよう。

月曜の朝の一時間を仕事の計画にもあてよう。人に仕事をやらされてるのではなく、自ら進んで仕事をやろうとしてるはず。ならばその仕事にも自分で納期を設けよう。人に納期を設定される前に。自分で自分の計画で。

流される日々の先にはナイアガラの瀑布があるとイメージしてみる。いかだを岸までつけて生き延びなくては。そのためには安逸に流されず腕力を鍛えて魯を漕がねば。

天才ではないのだから、夢に期限を設けて全力をつくそう。・・・9月になれば。

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2006年8月17日 (木)

マーケッター必読の書!

バスに乗り遅れるな・・・という脅迫マーケティングがあるけれど、この本は必読の書になるだろう。『テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0』。

CmCm1翔泳社。著者:ジョセフ・ジャフィ。初版7月21日。都市部のマーケティング書ではBest3に入ってる。うすうす気づき始めたコトが書かれてる。広告ビジネスや企業のマーケティング担当者、大学のマーケティングの学部では必読の書になろう。

昨日、友人のマーケティング会社社長から薦められた。アマゾンでは遅れをとるので書店で買い求めた。

これを読めば、就職に電通や博報堂を志望したりしないだろう。これを読めば、TV局に就職したりしないだろう。裏を返せば、この本が出て以降、広告代理店やTV局に就職を志望するということは時代を読み違えるリスクがあると認識すべきである。

かって映画会社が時代の覇者だった。銀座では映画会社の社用封筒を持つリーマンがモテたという。

時代が変わるときは、いつもドラマチック。智慧だけが身を守る。

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2006年8月 5日 (土)

がんばり過ぎてる あなたへ

がんばったことのない人は「がんばり過ぎる」ということがよくわからない。そして「がんばり過ぎてる」時に、自分自身をそうだと客観的に認識することも少ない。Too muchは身もこころにも無理をかけてること。けれどそれに気づかなくなってしまってる。

こわれたことのない人に「こわれる」怖さはわからない。人は皆どこかでこわれる。一生の内で遅かれ早かれ程度の差はどうであれ、こわれる。けれど、こわれないことが幸せ、かというとそうでもない。大切なのはこわれた処から再生する力。人間を本当に知れば、人は「こわれやすい」生き物だと判ってくる。

あなたに伝えたいのは,<fire wall> (防火壁)をつくること。

空襲で大都市が全焼しないよう先人は緑地帯を造った。此処で火を食止められるというボーダー。人間の知恵は素晴らしい。強固な fire wall でない方が良い。硬いと壊れやすい。例えば習慣などがいい。

いろいろな fire wall がある。

金曜の晩は仕事が終わったらスーパー銭湯へ行く。そこでサウナに入って汗を搾る。その汗と共に一週間の仕事のコンフリクションを洗い流したとイメージする。その施設をでたら、あなたの週末がはじまる。~簡単。それを習慣化する。仕事と自分時間を切り離す。

こわれるくらいやった人間でなければ、こんなことを考えたりしませんよう。最後には人間の叡智を尋ねる境地がある。ひとりでも充実した時が人を育てる。

気づいたらあなたの隣に恋人が居たりして・・・。

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2006年7月28日 (金)

とにかくやってみる

Jwaveのウェイク・アップTOKYO(早朝7時まで)で、今週は精神科医の和田秀樹氏がゲスト出演してた。面白い話をいろいろ聴けた。例えば勉強する人ほどアイデアがでる。本を読まねばならないこと。詰込み教育が創造性を育てる・・・などなど。

今朝は「とにかくやってみる」ー行動の大切さを説いた。ビジネスで一番大切なこと。

もし上手くいかなかったら、自分の才能のせいにせず、「やり方」のせいにする。「やり方」をかえてやってみる。とても良いアドバイス。それは自分に自信を持ち続けるために大切。「自信を持つ」「持ち続ける」。これは重要だ。

自分の自信はともかく、高校三年生の息子に対して、自信をどうつけさせるか?考えてた。長男だから慎重で誠実で控え目。内省的。自分も長男なので実感があるけれど、真正直でウソがいえなかった。でも今では「やっちゃん」になってしまった。何故だろう?

おそらくいろいろな実績・キャリアがある。けれどその実績を上手に自分の自信に結びつけられる人とそうでない人がいる。僕は後者の方だった。僕の息子もまた後者の方である。

高校生活で卓球部の部長をした。体育祭では主導的にクラスを勝利に導いた・・・。こういう事実を美しい言葉にして、自分の<愛のメモリー>にインストールする。話してみよう。明日は一緒に図書館に行く.。自信を持つと余裕が生れる。例え空襲にあっても、午後3時にはお茶を飲める。そういうスピリットがバトル・オブ・ブリテンを勝利に導いた。竹槍で飛行機は落とせない。どんな逆境に置かれてもcoolでいられる男になってほしい。

さてあなたの週末はこれからはじまる。  「とにかくやってみよう」・・・。しかし恋には通用しない言葉かも。Have a nice hana-kin weekend !

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2006年7月24日 (月)

ライフログという概念

Web2.0が話題になってる今、Web4.0の時代を考えてる人がいる。西暦2015年頃だから、みんな頑張って生きれば何とか立ち会える未来のこと。

簡単にいえば、ライフログ(Lifelog)とは、すべての生活情報・個人情報を記録してるもの。

この時代になると「個人情報保護産業」なるものがブログを守ってると予想される。

今朝のJwaveで、僕の好きなジョン・カビラ氏が確か{KDDIが携帯でこの秋からライフブログを・・・」とニュースを読み上げて興味を持った。あるいはKDDIのところは聞き間違えかもしれない。

ワクワクする近未来のお話、ライフログをもっと知りたい人はこちらをクリック!⇒ぶちっ

ライフログで人生をやり直したい人のことも考えてる・・・そんなことはよけいなお世話さ

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2006年7月18日 (火)

イベリコ豚 の 呪文

この間、イベリコ豚を食べた。美味しくて「豚肉」とは違うものを食した感じが残った。それからしばらくイベリコ豚のことを忘れてた。

Cerdo

ある時、FMから「イベリコ豚」という響きが聞こえてきた。イベリコ豚についてゲストは情熱を込めて語ってた。

それからほどなくして、何の脈絡もない時と処で「イベリコ豚」と呟いてる自分に気づいた。「イベリコ豚・・・」もしくは「イベリコ豚め・・・」と静かに呟いてる。どことなく可笑しい音と響きがある。

Cerdo1

ドングリを食べてることとか、自然放牧されてること。スペインのイベリコ地方を発祥の地とする黒豚だということも最近になって知った。

僕にとって<イベリコ豚>は「豚」という意味を超え、不思議な呪文と化している。この音の響きに潜むのは何だろ?

リコ・・・という響きから連想する。映画「真夜中のカーボーイ」でダスティン・ホフマン扮するイタリア系浮浪者の本名が確か「リコ」。なのに「ラッツォ(ねずみ男?)」と呼ばれ続ける。本当は「リコ」と呼ばれたかった。

イベの「べ」という濁音が重要だ。この響きにあるフック(引っ掛かり)がこの言葉全体にある流れに棹差すアンカー機能を果たす。

「豚」?。僕は特に偏見はない。あの鳴き声は少々いただけない。けれども彼らは今、吉野家で頑張っている。

イベリコ豚・・・そう呟いてみてほしい。なにか体の奥から力が湧いてくる気がする。見知らぬスペインの地でノンビリとドングリを食べて平和に暮らす。あるいはフラメンコを観たりして。

ある日突然さらわれ数奇な宿命に導かれる。極東のジパングで珍重される君。その名は「イベリコ豚」。

君は歴史に名を刻む。

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2006年7月17日 (月)

神々降臨 海の日の朝

神々もまた海水浴をしに。浜辺は大勢の人々で埋め尽くされた。

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月が空から見守ってる。神々は方々から歩いて海にやってくる。浜辺でそれを待つ人々。

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神々を中継。夜通し御輿を担ぐ男たちのトランス。掛け声。御輿を叩く音。相まってこちらに伝播する。

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鳳凰は海へ。神々は浜辺に降臨。okonomi-yaki。as you like it.卵は turn over。Hiroshima-style。

海の日はこうして始まった。

神さまに感謝。もう一日僕たちにお休みをくれて、ありがとう。

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2006年7月16日 (日)

LOVE is the ANSWER

『やすらぎ療法』という邦訳書を図書館で手にした。アメリカの精神科医がVfsh0049_3 中心となって編まれた本で、英語と日本語が上手にレイアウトされていて面白かった。その四章はレッスンの章。

●恐れを愛に変えるための毎日のレッスン:Daily lessons for the Vfsh0001_6 transformation of fear into LOVE/愛と罪は共存できない 一方を受け容れることは他方を否定すること。この章は15のレッスンがで構成されなかなか良い言葉があった。それを引用します。

・自分の考えと姿勢だけが自分を癒す:Only my own thoughts and attitudes can hurt me

・自分の心の葛藤以外に敵はいない:There is no enemy except the conflict within my own mind

・人を助けることは自分を癒すこと:Helping others is the way I heal myself

・許せば望むものすべてが得られる:Forgiveness offers me everything I want

・静かな瞬間(とき)をもとう:I will be still for an instant

・・・・・・

Vfsh0062_4アメリカ人もまた書物から学ぶ。こういう本がアメリカにはたくさんある。それだけ苦しんでいる人々が多いのかもしれない。日本もまたアメリカの文化圏の中で同じ道を辿ってる。

今日の残り時間は、人を助けて、全てを許し、静かな時を持つよう試してみよう。クルマの運転などは避けた方がいいかもしれない・・・。

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2006年7月13日 (木)

3時のコーヒータイム

大学での仕事もあと僅か。今日は正門で守衛さんに「今日は遅いでPhoto_112 Photo_113 すね」といわれた。「・・・今週一杯でしばしお別れですが」と伝えた処、なんだか残念そうな顔をしてくれた。

昼休みの図書館でも司書♀さんに「今週一杯で」と告げた。「また遊びにきてくださいね」。お世辞でもうれしいな。すっかり大学に溶け込んでしまった。

Photo_114Photo_115学生たちは今試験勉強中。特に女子学生には勉強家が多い。試験が終わればVacation。そう。もうすぐキャンパスは長い眠りにつく。Farewell, my lovely.

コーヒーカップもサムライ・ブルーから通常の紙コップに変わった。

僕も次に向かわなくては。

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「愛のめぐりあい」 BOW30映画祭から 

アントニオーニという監督が大好きで、卒業論文に彼を選んで研究した。<見る>ということに対する洞察が鋭い監督で、尊敬している。

135_1「愛のめぐりあい」は彼が脳梗塞に倒れヴェンダースが共同監督する申し入れで製作資金の調達が可能となった映画。アントニオーニの短編小説集からオムニバス形式で愛の物語が紡がれていく。

十年程前に映画館でみた。アントニオーニの感受性の瑞々しさにこころ打たれた。これは老人の映画ではない。賢人の映画である。

Pda949_1大勢の名優・女優が出演してる。それは彼らが20世紀を代表する映画作家のひとり、アントニオーニに対する敬愛を表すとともに、人生のプレゼントを出演という形で贈ったのだろう。人生の終局で自分を励ましてくれるであろう映画。だから僕はこの映画のことを語る資格はないかもしれない。

愛はときに語りえないもの。

愛のめぐりあいの予告編に⇒めぐりあいたい

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2006年7月12日 (水)

「ベルリン天使の詩」 BOW30映画祭から 

もしもドイツ語を学ぶならこの映画に限る。DVDを買ってこれだけを082_1 マスターすれば愛が語れる。普通の映画のようなストーリー展開ではない。映画でしか紡げない話法。散文詩に近い。中年の天使たちの彷徨。

天使にとって人間に恋することは“死”を意味する。しかし空中ブランコで天使の羽根をつけたマリオンが「愛したい」と呟くとき・・・。これは奇跡の映像詩と呼ばれるが正確ではない。比類ないモノクロームの映像美。色彩の神秘。

これは映画の奇跡である。

ヴェンダースは極東の映画の神ーOZにこれを捧げた。

予告編がみたくなったら click here!⇒ベルリン

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2006年7月10日 (月)

傑作の光を映画館で浴びる

「バウ・シリーズ」30周年記念映画祭が7/15(土)から始まる。タイトルのコピーは週刊文春7/6売号・123Pの記事より。

“傑作の光を浴びる”-うまいことをいうなあ。どうせ浴びるならいい映画館で。日比谷シャンテシネ。

118_194年に大ヒットした『ピアノ・レッスン』は切ない恋の映画だった。女性監督が描く恋は激しくて、きっとジェーン・カンピオン監督は激しい恋を経験したに違いないと思った。映画を観て、肉体的な「いたっ」という“傷み”を感じた。

サウンド・トラックのCDまで買った。MICHAEL NYMAN(マイケル・ナイマン)のサントラは音楽で充分この“THE PIANO”に象徴された女性の性愛の狂おしさを歌い上げる。声なき主人公は現代音楽の作曲家ナイマンの旋律によって声になる。

結局のところ男性は女性の愛の力には叶わない。

ハーヴェイ・カイテルが実にいい。

公式hp

予告編が観れて楽しいページはこちら

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2006年7月 9日 (日)

鎌倉 Book Cafe 探検記

D5 Book Cafe(ブックカフェ)探訪にいざ週末の鎌倉へ。天気は晴れ。外人さんや観光客で賑わう小町通り周辺2軒を“抜打ち訪問”。といってもお店の人は知りやしない。ポリシーとして2軒の内良い方だけをご紹介します。(写真はDenny'sのローズヒップティー)

Photo_77 ■遊吟舎(鎌倉市小町2-8-7 小町通りスミノ・プラザ3階/電話0467-23-3948)

←小町通りから階段を上る。おっ看板が・・・。風格あり。

D1

戦利品:①辻邦生/パリの手記Ⅴ「空そして永遠」(1974)②映画の魅惑(リテレール別冊1993)③五木寛之作品集3「青年は荒野をめざす」(1972)。

〆て2900円の処、たな卸しにつき1/2。なんと1450円也。

Book Cafeは危険に満ち満ちた世界。これ以上いると手に取る本全て欲しくなり本日はひとまず撤退。

慶応大学名誉教授所有の蔵書三万冊を許に書架と喫茶。コーヒー@500yenは美味しい。大学教授らしい蔵書コレクション。

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特筆すべきは3階から見渡せる鎌倉の町並み。二階屋で構成されてるのが判る。穏やかな山。古都・鎌倉。隠れ家のように活用されたし。(写真はチョットピンボケ)

小町通りの喧騒を離れ、珈琲だけでも可。(漫画本はありません。)

Book Cafeには危険がいっぱい。けれど危険な処ほど行ってみたくなる。よし、次はデイパックで行こうっと。

(お店は夕方まで。黄昏時には電話にてご確認を。)

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2006年7月 7日 (金)

大学生をみていて思うこと

大学生の顔をみてるのは楽しい。楽しそうなのをみるのは、なおよPhoto_73 い。キャンパスでみる学生の顔と都会の雑踏でみる顔とは違ってくる。それは<環境>というファクターがそうさせる。

Photo_76 こんなに創造的な大学生が、会社に入ると創造的でいられない?-これが問題。

会社で権力構造の階段を登る人々は創造的な人々でない場合も多い。むしろ政治的手腕、冷酷さ、陰謀なども大いに役立つ。だからシェークスピアは商売になった。

官僚的人間は本能的に創造性に嫉妬する。洋の東西を問わず。官僚的人間は人間の創造性がひどく眩しく妬ましい。若いうちに芽を摘むべし。あるいは飼いならせ。

そうして社会教育が始まる。会社は社会。こうして造られた国家が今の日本である。

「生きながらえる」ことは許される。しかし「真に生きる」ことに消極的な社会。多様性より均一性を重んじる社会。共存するより競争優位に立とうとする社会。弱者に対して自己責任を問う社会。こういう社会は若者を駄目にする。創造するより消費することを選ばせる社会。これにも若者はやられる。自分の得意分野で社会を豊かにする国家は豊かになる。

若者を大学から預かって、動物園のまんまサファリ・パークのように社会化する企業や法人があればいいのに。

Photo_75 こんなことをお昼時、動物園状態の学食で考えました。

ラーメン。210円也。コロッケ60円也。

映画「プラトーン」冒頭のテロップのように“若者よ、若いうちに楽しめ”では、哀しいもの。

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2006年7月 6日 (木)

学ぶ者を社会は大切にする

大学で感動する。例えば学食。あまりの安さ。本日の昼食は「塩Photo_61 焼きそば」250円也。大層おいしい。

焼きそばをワッシワッシ食べながら考える。何故こんなに安いの?

Photo_62結構最近の学生はリッチだ。目の前で「スペシャルランチ」500円也を、鉄板ジュージューさせながら昼間から受取る男子学生。

結局お金はフィクション。本当に人間は贅沢にできてる。お金では買えないものを欲しくなる。友情とか本当の愛。無垢の思いとか無償の行為。人に喜んで貰えたり、人の役にたったということ。

300億の資産をもった西和彦氏(元アスキー)は、その頃のことを問われ「500億にしよう」と思ったと語る。欲は欲を呼ぶ。

家族に多くの時間を割きたい。入魂の仕事をしたい。そしていつまでも学生のように人間の係わるすべてを学びたい。

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←★マグリット。<光の帝国>。暗い昼下がり。空は昼。地上は夜★

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2006年6月30日 (金)

マグリット MAGRITTE 光の帝国

Photo_1 Vfsh0028_2夏の夕べに空が広がっていた。夕日がマグリットの絵のように見えたのでパチリ。マグリットはシュール・レアリスムの画家として知られるが、僕にはレアリストだ。

Vfsh0030_1 もう少し待って太陽が林に沈んだら、マグリットの絵になる。夕日が林に穴を開けたように見える。そう思ったが、次の仕事のためにクルマを走らせた・・・。残念。

Vfsh0034_3 マグリットの<光の帝国>。「The dominion of light(1961)」。マグリットによれば夜の風景でありかつ昼間みる空。彼は22点も<光の帝国>の名で描いた。

マグリットは夜と昼に対して賞賛と驚愕を覚えると語った。“詩情”とマグリットは呼んで、大きな関心を示した。

マグリットは夏の空を愛したろう。繰返される水色の空と白い雲のモティーフ。そして僕の想像では散歩を愛したはずだ。この季節、午前五時前の風景は<マグリット>してる。マグリットの絵画には健全な魂の夢想が宿る。

この世界は<マグリット>の見た世界。そんな夕べと朝が好きだ。もっともっと<マグリット>しよう。花金の朝はこうして始まった。

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2006年6月29日 (木)

PSP の朝

Vfsh0017_3 PSPがやっと僕の手許にきた。今朝からいじくってる。SONY衰退論がかまびすしいが、「スパイダーマン」をつくったストリンガー会長を僕は信じてる。SONYを復活させてほしい。この小さなGearの技術的密度とデザインの美的完成度には素晴らしいものがある。SONYならではの完成度だ。当面はいつでもどこでも一緒に過ごそうっと。

ゲームはやらない。

Vfsh0018_2 何に使うかというと、映像のポータビリティ。いつでもどこでも映像を楽しむコト。<生活の隙間時間に映像をもぐりこませる>。それによって生活がどのように潤うかを研究してみたい。アップルのipodも映像のポータビリティが可能。音楽と共に画像が楽しめる。僕の入り口は、PSP。PSPの液晶モニターのサイズが気に入った。

今朝は静止画をメモリースティックDUOに取り込み、ビューワーとして使ってみた。やっぱりいい。自分の撮った写真ではないみたいだ。これを上手に使いこなして、スライドショーを上手に出来るようになりたい。鑑賞者は自分だ。

次に取組むのは動画の取り込み。DVDをリッピングしてPSPで見れるようだ。それを試みよう。自分の気に入った映画の気に入った部分だけをサンプリングして見れたら楽しいだろう、と考えている。

こういう風に書くと、僕はオタクみたいだ。

Vfsh0001_2 久しぶりに工学系の血が騒ぐ。文科系の手から元・映画部門のマネジメントの手に経営の移ったSONY。SONYのスピリットは技術屋になくてはならない。

さてと、仕事が始まる。夢の世界から現実に戻らなきゃ。

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2006年6月28日 (水)

クリントン My Life 毛沢東

大学の図書館で比較した自伝と評伝。『My Life』と『マオ』。現代史の凄まじさ。

Vfsh0003 上巻・下巻、2冊組のボリューム感がいい。弁当箱を二つ並べた厚みがある。クリントン元大統領の人柄が伝わってくる。僕には好感の持てる書物だった。

Vfsh0007_3 あのルインスキーの件(くだり)も、本人の口から語るのには勇気がいったろう。ヒラリー夫人や娘に対する胸中を正直に伝える文章。これでクリントンは贖罪を果たしたかったのだろう。自らの恥部を彼は語った。

Vfsh0004_2 一方の『マオ』。クリントン氏の自伝と全く同じといっていいボリューム。「ワイルド・スワン」で一千万部の作者による評伝。背筋が寒くなる評伝だった。

Vfsh0005_3 毛沢東が結果的に7000万人を死に追いやったことや、権力の頂点を極め亡くなるまで権力の座にいた絶対的権力者の桁違いの放逸までを暴く鬼気迫る作者の執念ー。驚くべき話が次から次へとでてくる。

米中という世界最強の強権国家のリーダーが時代こそ違えて赤裸々にされる。この二冊(計四冊)のページを繰りながら、権力とその媚薬について物思う。

マオで描かれる悪は日本人の知りえない悪である。そして書物でしか味わいたくない悪でもある。

Vfsh0002_2 知は力なり。そういう。しかし無知は時として悪に加担する。人間の偉大さ、恐ろしさの双方が図書館では眠りについている。

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2006年6月25日 (日)

倉橋由美子 「暗い旅」「夢の浮橋」

Vfsh0006_2昨日、明治大学リバティタワー(神田・駿河台)を訪れた時に、懐かしい女性に出会った。作家・倉橋由美子氏。昨年6月10日急逝。

Vfsh0005_2  7/6(木)まで「倉橋由美子展」が開催されている。(タワー1階・入場無料。)明治大仏文在学中に『パルタイ』で彗星のように作家デビュー。以来半世紀厖大な著述活動を展開。遺品、自筆原稿、初版著書などが展示され、惜しみある才能を偲べた。とてもこじんまりとした展示だが、懐かしい恋人に再会した気分になった。

小説「暗い旅」は、大学時代の僕と親友のバイブルだった。倉橋初の長編小説。普通、小説の一人称では「私は・・・」と記述されるが、これは「あなたは・・・」と語られ、まるで主人公が読み手に移し変えられるような仕掛けが施されてる。催眠術をかけられ小説世界を自分が彷徨うような感じが新鮮だった。当時は仏作家ミッシェル・ビュトールの模倣と揶揄されたりした。(揚げ足取りの国家ニッポン)創造的模倣で何が悪い。

大学生が失恋の痛手を胸に彷徨う物語に僕たちはanan nonnoを見ていた。京都を訪ねる折には、ガイドブックとして持参した。

これは「夢の浮橋」にも通じる。親友は今は大手広告代理店でTVCMを造っているが、学生時代TV局に入ったら、このドラマをTVでやりたいという夢を持っていた。主人公は「萩尾みどり」(懐かしい!)、相手役は誰で・・・と僕に説明してくれた。聞いている僕は、作中の若い恋人役が親友にピッタリなのを内心気づいていながら、黙っていた。美しい残酷な近親相姦の物語が源氏物語の現代版のように優雅に展開されていく。日本の古典と西欧の退廃がこの文学に結実してた。

僕は色鉛筆でアンダーラインを引きながら読んだ。後にも先にもこの「夢の浮橋」は僕の恋愛指南書だったのである。

小説に描かれているように大学を卒業し、社会人になる頃、僕は永らく付き合っていた恋人と別れと再会を繰り返していた。なので、ぎりぎり「夢の浮橋」の美意識だけが見苦しい別れにさせないストッパーだったと、いまでは感謝。

失恋とその辛さは、切腹するってこんなかな、と思わせる傷みだった。体の一部がもぎ取られてしまうような傷みに耐えたのは、倉橋由美子の知性と美意識をテキストとして得ていたからだろう。

そんなことを久しぶりに回想した。

恋愛がファッション化され、性が快楽と捉えられる今、「恋はゲームじゃなくて生きること」という歌詞のような体験をして、今思えば幸せなことだった。

あの傷みを懐かしく思う。しかし恋が傷みだった時代はもう来ないことを切に祈るけれど。

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明治大学 LIBERTY TOWER

Vfsh0012Vfsh0009 土曜の午後、明治大学を受験する息子と神田・駿河台にあるリバティタワーを訪ねた。どえりゃあ~高いビルだがね(名古屋弁!)。まず17階にある<スカイラウンジ暁>で腹ごしらえ。僕はとんこつラーメン360円也。息子はチャーシューメン500円也。味よし。眺めよし。お値段よろし。

Vfsh0010_1 高層階からの一望。お茶の水の街が眼下に広がる。17階の学食から1フロアずつエスカレーターで降りてみたいと息子は言った。空いた教室に入り着席してみたりした。大学生になった自分をイメージする。う~ん。一緒の僕も大学を受けたくなってきた・・・。

Vfsh0008 LIBERTY TOWER の1Fに図書館はあった。ロダンの言葉が掲げられる。

<肝心な点は感動すること、愛すること、望むこと、身ぶるいすること、生きることです>

ここにコトバを掲げようと誰かが発案し、それから古今東西の先哲の数多の名言を吟味したのだろう。そして一人の男(ロダン)のコトバが選ばれ刻まれた。図書館に入館する度に、このコトバの元を通る仕組。とてもいいアイデアだ。言葉の力は剣よりも強し。

感動と愛。希望と意欲。身震いするような何か。そして、死ぬな。生きよ。ーそうロダンは静かに僕らを励ます。

その標語を見上げながら、傍らの息子に言ったー。「君が明治の学生になったら、この図書館を自分のものに出来るんだね」。

大学4年間。約1500日。人生における貴重なモラトリアム。学び、恋し、友と出会い、語らい、生きる。自らの航路の最初の舵を、自分で大きくきってほしい。

sauve qui peut.(ソーヴ・キ・プ) そのコトバがふっと浮かぶ。「生き残れよ・・・」。沈み行く船と運命を共にする船長が最後に部下に告げる言葉。

それがsauve qui peut.

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2006年6月23日 (金)

敗戦直後の花金は

敗戦直後の一光景。大学の図書館は簡易宿泊所のようだった。机に突っ伏し寝ている女と男たち。図書館員に「今日は大勢倒れていますよ・・・」と告げたら、彼女は黙って静かに笑った。

Vfsh0033_2 カレー260円也。スタミナ焼き(500円)を平気で食べてる学生の頭をポカっとやりたい君がいる。アブねぇ。中田の放心した表情、その涙が甦る。

Vfsh0035 これが敗戦直後の平和か。冷静にみえた君の内に怒りと哀しさの混じった感情が流れていた。そうか、お前はそんなに悔しかったのか。

Vfsh0037_1 これが敗戦直後の空か。君の中に流れる血は行き場を失ってる。それにしても世界は何故かくも美しい?かくも速やかに「夢をありがとう」などと言えるものか?

Vfsh0039 これが敗戦直後の光か。苛立つ君の脳は、旺盛な食欲で狩猟を始める。週末の時間をサッカー以外で埋めたい。何をやりたい?その質問に脳は即座に解答しようとする。

借りもの一覧

①「ロード・オブ・ウォー」:LORD OF WAR

②「ニコラス・ケイジのウェザーマン」:The Weather Man

③「ブエノスアイレス」:happy together

④CD/小松亮太「ザ・ベスト」

⑤CD/小松亮太「バンドネオン・ダイヤリー」※

⑥CD/Yuming「A GIRL IN SUMMER」

Yumingには出来なかった。ただ小松亮太のバンドネオンの官能的な響きだけが夜を潤した。恋の記憶。していないはずの恋の記憶。アストル・ピアソラのリベルタンゴ。バンドネオンがすすり泣く。(※)

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2006年6月20日 (火)

親友と出会った場所

Vfsh0196 Vfsh0195 お昼休みに、blogへ記事をUPすることが目下マイ・ブーム。今日のお昼はハヤシライス。260円也。眠気覚ましに飲んだコーヒー。60円也。こちらはW杯応援カップで、捨てるに捨てられない。困った。これはキャンディ入れにした。

学食でハヤシライスを食べてる時、突然忘れかけていた記憶が甦った。プルーストの「失われた時を求めて」では確か洋菓子・マドレーヌが記憶を呼び覚ます。けれど僕の場合はハヤシライス。

都の西北の学食で、僕はカレーライスを食べてた。180円のカレーが一番安い。学食ではカレーしか食べなかった。当時僕は映画を造ろうとしていて、アルバイトで稼いだお金を貯めていた。今でもあの糊のような食感が忘れられない。

学食に話を戻す。僕の隣りに語学クラスで一緒になった背の高い男性が座った。彼はいかにもお金持ちのご子息らしい雰囲気があった。そして実際そうだった。だが彼もカレーを選び、僕らは並んで座った。一番安いカレーが僕たちを結びつけた。人生は不思議である。

学食が好きなのは、そんな記憶が潜在意識に刻まれてるからかも。

Vfsh0193Vfsh0201  グルメの話ついでに。今朝はクルマにもご馳走した。30,000km突破の記念に、エンジンオイルを交換した。高いオイルを食べさせた。キャンペーンのブローシャーを僕はGSの店員から貰った。クイズに正解するとポルシェ・Boxsterが当たる。

自分のクルマを愛してる僕はポルシェに動揺しない。Boxsterは2シーターOpen。もし僕がもう一台2シーターを所有するなら、もっと可愛い2シーターを購入する。モンスター・マシンはいらない。

思わず当選した時の当惑を想像してニヤニヤした。

僕がBoxsterを当てたら、おそらく売却してそのお金で赤いユーノス・ロードスターと、ポルシェ製の自転車を買う。勿論残ったお金は備蓄して、今乗っているクルマのガス代、メンテ代に回す。10年位は大丈夫だろう。

Vfsh0198 Vfsh0199 お昼休みの想像は、かなり現実的なものだった。

気づいたら、僕の周りは学生だらけになっていた。

さてと、午後の仕事に戻ろう。

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2006年6月19日 (月)

キャンパスの空は夏だった

Vfsh0187 今日は暑くなった。そして空は一足先に夏になっていた。大学に接点を持つようになって、僕は本当に大学が好きなのだと判った。スタンフォード大学、UCLA、ハワイ大学。海外で大学に寄る位なら、どうしてもっと早く気づかなかったのだろう?

Vfsh0184 大学で惹かれるのはまず図書館。図書館に目がない僕としては、その蔵書に囲まれ散策できる位の空間の遊びが好ましい。(学生の仮眠所としての機能もあり。)

Vfsh0185次に学食。どこも安くて美味しい。お昼の定食。アジ竜田揚げ風あんかけに、春巻き、シュウマイ、冷奴に具沢山のお味噌汁、ご飯テンコ盛りで380円也。

(ハワイに行ったらハワイ大の学食もお勧めです。)

そしてキャンパスの雰囲気。学問の場、教育の場、未来への夢を育む場。つまり平和ということ。僕の大学時代は政治の季節の終焉期だったので、かなり騒然としていた。叶えられなかったキャンパスに憧れがあるのかも。

社会人になるまでのモラトリアム期間とも言われる。けれど社会にでてから十年、二十年を経過して再び学びたくなる。古今東西の書物と向き合い自分をもっと豊かにしたい。

週末に子供の志望する大学を訪れる。子供のため、というよりも本当は自分のため。いまからワクワクしている・・・。

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2006年6月16日 (金)

映画「憂国」ー封印がとかれて

Vfsh0129 Vfsh0130 DVD発売を、誰が想像したろうか?この映画は三島の遺族の意向でネガ焼却された・・・はずだった。つまりこの世に存在を許されない映画だった。しかし依頼された人は焼却せず密かに保存した。今日陽の目をみれたのは奇跡という他ない。

1970年11月25日の三島事件は、僕らの世代に、いや戦後日本に大きな衝撃を与えた。

芸術家として短編小説「憂国」を執筆し、後に自ら製作・監督・脚本・主演して映画「憂国」を造り、三島は現実に先行する形で<切腹>という行為をイメージの世界で予行練習してきた。確か映画「人斬り」でも切腹を演じた。僕には彼の切腹がエロスとタナトスの境界にあるように感じる。

いつか観たいと思っていたそのDVDを、昨晩買ってしまった。

嵐の夜にアマゾンで徘徊している内に、その誘惑に負けてしまった。ピラニアに不意に食われたようなものである。

自宅に届く映画を、直ぐには観れないだろう。とてもリアルな描写があるという。そういう映像描写は苦手である。けれど三島を捉えるには、この映画は不可欠のもの。彼の芸術的衝動を解く鍵のひとつになるだろう。

映画「春の雪」は美しかった。

その原作者・三島が最も自ら愛でた短編小説が「憂国」である。この短い小説には濃密なエロスとタナトスが選ばれた言葉とイメージの構築によって刻まれている。

映画では三島によってワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「愛の死」が選ばれ、使われているそうである・・・。

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2006年6月15日 (木)

構造主義で組み立てられた自分

大学で仕事する機会に恵まれ、毎日大学へ行くのが楽しい。というのも図書館と学食は僕のサンクチュアリに等しいから。仕事の合間に施設を利用できるというのがなによりうれしい。

お昼休みに本を狩猟する。『図解雑学 構造主義』という簡易本を哲学書の書架で発見。通読。僕が大学で洗礼を受けた思想にその後の自分の人生が支配されていることに気がついた。

Vfsh0124 Vfsh0123_1 ロラン・バルト(1915-1980)というフランスの文芸評論家を当時敬愛していて、そのバルトの思考が自分の土台になっていることに、我ながら驚いた。記号論を判らぬままに読んでいたのが、すっかり血肉と化している。若さ恐るべし。

簡単に言えば、「文学テクストを規定しているのは作者の意志ではなく、作者も知らないテクスト構造」であって、「人間の文化全体が読解されることを待っている大きなテクスト」であるという考え方である。

ロラン・バルトは、確か日本を<表象の帝国>と呼んで愛し、そして何より映画を愛していた。

自分の中にバルトが生きていることを知って、とてもうれしかった。

Vfsh0120_2 Vfsh0121_2 今日のお昼はちょっと奮発(!?)して「タンメン」。280円也。

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2006年6月14日 (水)

「見た目」依存の時代

Vfsh0119_1 Vfsh0111この本のブックカバーは美しい。欧米人の女性が裸で体重計にのっている。メーターを見つめている。広いレストルームにただひとり。バスローブはない。静謐な緊張感ー。

<「見た目」依存の時代>という書名がピンク色の上にレイアウトされている。現代社会における「美」の基準の画一化、差別等に関する考察を真面目に展開。興味深い内容だった。

このデザインの秀逸さは、ありそうで実はありえない設定の中に本のテーマが埋め込まれてる処。素晴らしい肢体。・・・それなのに体重計の目盛を気にしている全裸の女性。それがモノクロームという抽象化された映像の中で絶妙に配置されている。この女性の「見た目」に徹底的にこだわっている処がちょっと、addiction。

Vfsh0110

閑話休題。庭の紫陽花が咲き始めた。今朝五時頃それをパチリ。周辺の紫陽花は既に満開のようだ。けれどこの株は少し遅れて咲くつもりらしい。DNAには開花時期がプログラムされている。

人間ドックにもう何年も行ってない。行くとどこが悪い、あちらがどうも、と言われるような気がしてる。しかしその数値に近づけるために飲むクスリに実は害があるのでは?とある時、思ってしまった。

●measurable:測りうる,適度の(形容詞)

数字で判定できるとする幻想。体重。血圧。血糖値。コレステロール値。断層写真。けれども人間の体は微分化しきれない。映画にもあった。死んだ瞬間に<21g>体重が減少するという。この21gの謎ー。

美しさは、measurableだと思いますか?

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「されどわれらが日々ー」と「トニー滝谷」

仕事で通ってる大学の図書館で懐かしい本に再会した。芥川賞受賞作。柴田翔の“恋愛小説”「されどわれらが日々ー」。

Vfsh0107 書架からその本を抜き出した。表紙の傷み具合が感動的だったので、思わずパチリ。貸出歴をみる。大勢の人が読み継いできたのが判る。女性が多い。読者に恵まれた幸福な本である。

僕は三十年以上前、京都の大学を受験してその帰路、京都駅の書店で購入し、新幹線の車中で読み終えた想い出がある。当時僕の高校は進学校で東大を受験する人が多かった。この小説は東大生の話で、背伸びした高校生はかなりこの本を読んでいたと記憶する。

今にして思えば、この小説の背景となる政治風景はファッションだと思うし、描かれた人々がある時代のある人種を描いたというにも、無理があると思う。

けれど、この小説には、瑞々しい抒情が抑えられた形で流れていて、それが青春時代を生きる若者の心を捉えたのだろう。東大に入ってこういう大人の恋愛をするのかなあ・・・したいなあ。憧れの中で僕もこの本を読んだ。

性がこれ程商品化する国になるとは・・・。欧米では考えられないクラスファイされた性のサービス体系がある日本は、壮大な実験国家だ。高度資本主義の究極が形成される入口に、この小説は永遠の恋愛小説という位置を占めている。去勢されたロマン主義のように。

Vfsh0108 柴田翔の小説は、その後ほぼ全部読んだ。僕は東大ではなく、都の西北にある大学に入った。政治の季節は終焉し若者のエネルギーは演劇や映画に向かう時代だった。消費に取り込もうとする資本側の若者文化が少しずつ胚胎していた。大学のキャンパスでは政治を叫ぶ拡声器の横を、恋人たちが通り過ぎた。

村上春樹が通った学科に僕は通っていた。がその時には知る由もない。けれど彼の言う“女の子とはタダですることをした”時代を僕も生きていた。「されどわれらが日々ー」程、頭で生きようとする人たちでもなく、性の解放を目指すご乱行派でもなく、恋人との時間の中で、すべては自然に起こり、自然に終わっていった。そうやって社会に出て行った。

「トニー滝谷」の映画に流れる時間は、そういう時代を生きた人間の過ごす、すべては失われ一人になったと自覚する世代の社会人の物語である。坂本龍一の音楽が胸に沁みる。「されどわれらが日々ー」と「トニー滝谷」は僕の中でそのように結ばれる。

されどわれらが日々ー。

とても素敵な響きのタイトルだなあ。

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2006年6月12日 (月)

学食の朝の誘惑。

仕事で大学を訪問した。朝早く学食に入った処、朝の誘惑に遭遇。

Vfsh0094 250円ってどんな朝食なのだろう?お腹は減っていなかったけれど、結局、好奇心の方が勝ってしまった。

Vfsh0091 実に見事な朝食だった。丼にホカホカご飯。具沢山のお味噌汁。お魚。納豆。それが〆て250円!残したらアジアに暴動が起こってしまう。

Vfsh0093  「今日はちょっと、リッチに!」

スペシャルランチ、500円。今度は500円玉でリッチな気分を味わいたい。

結局、豊かさはお金の問題というよりも、こころの問題なのかもしれない。

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2006年6月11日 (日)

雨の日に、フランクルを手にして

ヴィクトール・エミール・フランクルという人を教えてくれたのは、高校時代の片思いの相手だった。雨の日の図書館で、フランクルの本を手にして読んでいる。彼女と高校の帰り道に図書館で勉強した。高校生の僕はただそれだけで、うれしかったし緊張もした。

フランクルは、オーストリアの精神科医(兼神経科医)で、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所を奇跡的に生き延びた。収容所経験を基に、戦後ロゴセラピー(あるいは実存分析)と呼ばれる心理療法を創始した人である。彼は妻も家族もすべて収容所で失ってしまった。

1997年に92歳で逝去。しかし今なお彼の著作は、世界を照らし続けている。

高校時代に、その片思いの彼女に薦められたのは、フランクルのナチス強制収容所における体験記録、『夜と霧』と『死と愛』だった。僕はまだ子供っぽい高校生で、今にして思えば、彼女の方がはるかに大人だった。背伸びして買った本には恐ろしい写真と難しい文章で、僕にはとても荷が重かった。

大学生になって、映画をたくさん観るようになってから、アラン・レネというフランス人の映画監督が好きになった。「二十四時間の情事」「去年マリエンバードで」「戦争は終わった」「ミュリエル」など、難解だが今でも心に残る映画である。そのアラン・レネがアカデミー短編映画賞を取ったのが、確か『夜と霧』だった。

何度も、自主上映でこの『夜と霧』を観た。「夜と霧」は、確かナチスのユダヤ人絶滅計画の作戦名だったと記憶している。

この映画は、直接フランクルの体験記とは関係ない。しかし、僕の中では、フランクルの著作を映像という即物的な手段で、極めて知的にアプローチしたものとして、こころに突き刺さっている。

平和なアウシュビッツの緑に包まれた情景と、モノクロームで記録された収容所の記憶が交差する。戦争終結後、連合軍によって、解放された時の収容所のやせ細ったユダヤ人たちの瞳が忘れられない。それは喜びに満ちた表情ではない。いまだ人類が体験したことのない絶望的な体験を経て、虚脱し、深い哀しみを湛えた眼差しだった。

この映像に、大学生の僕は息を呑んだ。そして戦争のもたらす真の狂気を知った。アラン・レネと収容所体験を経た脚本家は、残された写真や記録映像に胸を痛めながら、この短編映画を仕上げたという。死者をして語らしめる。動かなくなった人間が語りえることで、後世に平和を問いかけてくる。

Vfsh0078_2 僕が今日、雨の日に手にしたフランクルの著書の題名は、『<生きる意味>を求めて』と題されている。

平和になった今でも、人間は幸せとは呼べない境遇におかれている。しかし不幸を生むのも人間だが、偉大さを示すのもまた人間である。

Vfsh0075_1 図書館には人間の叡智が集まっている。先人の叡智に少しでもふれる事で、何かが変わるかもしれない。

目の前にひろがる緑には今、霧のような雨が降り注いでいる。

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