2011年1月23日 (日)

日曜に資格試験の勉強をすること

毎週日曜に資格試験の勉強のために、東京に通学して、三週間が経過した。

日曜日の学習経験は昨年から何度も経験済みだけれど、その経験を踏まえて、そろそろ自分自身の経験則として身につけたいことがある。

①一週間のメリハリを、どのようにつけるか?

②資格試験の勉強タイムを、どのように確保するか?

この二つが、直近の課題としてある。

①については、日曜日分まるまる休む日を設けることはできないので、分散して休息時間を確保するか、半日を休息日として設ける方向で、考えよう。

②については、反省として勉強時間が後回しになっていることに気がついた。勉強時間をトップオフして、どんな日でも勉強できる体制をつくらなくてはいけない、と思った。

たとえば、早朝の2時間は、必ず勉強タイムにする、といった対策が必要だ。

そんなことを休憩時間に、同じクラスのメンバーと話したりした。

いずれにせよ、仕組みをつくって、「努力」を最小限にして、習慣として勉強できるようにしなくては・・・。

一月最後の週は、その仕組み化の一週間にしようと思います。

こんなことを書いていると、ひどく勤勉で真面目な人間と思われてしまうかもしれませんが、怠け者であるからこそ、「仕組み化」とか「習慣化」ということを考えているのです。

自分自身の根性とかいうものをあてにしないで長期戦を戦えるようにしたい。

そんなことを帰りの電車の中で、自分に言い聞かせているところです・・・。

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2011年1月 9日 (日)

資格試験 通学講座へ

資格試験の準備のために、今日から通学講座に通うことになった。

日曜日の朝の電車はすいていて、きれいな朝日が車内に射し込んでいる。

ちょっと旅にでかけるような気分になる。

そう、「旅」にでることと同じかもしれない。

かすかな不安や恐れが、きっと心の中にはあるに違いない。

新しい世界、新しい風景、新しい領域に足を踏み入れるときに、誰の心にも生じるDNAに刻まれた反応・・・。

考えてみれば、資格を取ろうと考えてから、そのアクションをとり、講座に申し込み、受講料を払い、通学講座に出かけるという様々なステップを踏んで、今、ボクは朝の電車に乗っている。

そういうこともまた旅の準備と同じように感じられる。

旅の先で出会いたいのは、何か?

それは新しい可能性を得た自分自身なのだろう。

その資格は、自分のためにというよりも、自分以外の誰かのために役立つものであってほしい。

今日は一日 勉強しよう。

そんな日曜日の過ごし方を、楽しいものにしていこう。

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2008年10月10日 (金)

19年で85万匹・・・ノーベル化学賞

ノーベル化学賞を受賞された下村教授は、アメリカ西海岸で19年間に85万匹のクラゲを捕ったと云う。

一家総出でのクラゲ捕りが唯一の家族旅行ということで、「子どもたちは楽しくなかったみたいですね」と妻・明美さんの談話。(日経新聞より引用しました)

家族の応援なくして、85万匹(!)も捕ること かなわなかった訳である。

ノーベル化学賞受賞は、きっと家族の支援の賜物であろう。

ご家族のみなさまの想い出の19年間に、栄光あれと願う。

まるでドラマを地で行くようなエピソードだと思った。

19年間もの間、ご家族は<ラ・マンチャの男>の話題を避けずにいられたかを、実は知りたいものだ。

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2007年7月22日 (日)

青山学院大学 オープンキャンパス

息子の受験の下調べに青学のオープン・キャンパスに付き合った。

Photo_382このマスコットは、明らかにボクをみてる。

「この人は何者だろう?」という視線。-父兄です。

Photo_383雨上がりのキャンパスに来年受験を希望する生徒が集う。さすが女性もお洒落な感じ。桑田君のイメージと一寸違います。

Photo_384チェア・リーダーとブラスバンド。それに応援団。

応援団、ちょっと太り気味っす。

Photo_385聖書の言葉がある。

昨日も今日も変わらぬ一貫性。あらまほしきかな。

Photo_386地の塩について考える。

世の光について考える。

Photo_387そして、柔和な人でありたく思う。

実社会の荒波を知る身には、学内の平穏を守りたく思う。社会が大切にすべき環境。

21世紀を担う人材は、間違いなく若者たち。

たくさん学び、恋し、生きてほしい。生涯の友をつくってほしい。

狭き門をこじあけ、入ってほしい。

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2007年7月 8日 (日)

慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科の説明会

土曜の三田キャンパスで説明会に参加した。

創造社会を先導するメディア・イノベータを育成するという志を、デザイン・マネジメント・テクノロジー・ポリシーの4つの領域に配置された教員から夢のあるスピーチを聴いた。

教室も一杯で慶應の学生のみならず社会人の姿も多かった。約一時間の説明時間が超過して熱っぽい時間が過ぎていった。ボクはいろいろなことを考えながら会場を後にした。

まず考えたことは、二年間の修士課程を、仕事と両立してできるだろうか?ということ。

次に経済的に学資が持ちこたえられるか?ということ。子供の大学進学とまさか自分の大学進学という可能性が一緒になることは想定外だ。

三番目は、さまざまな困難を乗り越えて、自分がこの研究科に学ぶ意義が本当にあるか?ということ。

この三番目の問いが、一番重要だった。

こんなことを考えた。

20代で学ぶ人と自分が学ぶことの決定的な違いは、人生の残り時間の総量。自分の人生の総仕上げに役立つ研究ができるかどうか?ということが重要な見極めとなる。

そのときにひとつの言葉が浮かんだ。「何をやらないと決めるか?」何をしたい、ではなく、何をやらないと決めることが生きる上でとても有効な判断となる。時間は有限と知った時、あれもこれも手を出す楽しさより、深い井戸を掘り進める忍耐とエネルギーの集中の方を選択しなくてはならない。自分は今その時を生きている。

「何をやらないと決めるか?」という問いに向かう時、このメディア・デザイン研究科の4領域はボクには広すぎるような気がした。夢を実現するには戦略と禁欲とが必須。自分はどこに立つか?どこに到達したいのか?

その根源的なテーマに向き合わせてくれたことが、土曜の午後の1時間の収穫だった。

いずれ大学院に進む道を選ぶ気がする。その時の勉強は社会貢献に役立つテーマの研究に絞られることになるだろう。

自分の未来にしっかり戦略が描ける・・・本当はそのステージにボクはさしかかってる気がする。

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2007年7月 6日 (金)

慶應義塾大学の新大学院の説明会が明日ある

余りの暑さに水分補給をしようとカフェに立ち寄った。そこに置いてあった雑誌「AERA」に目を通してたら、社会人向けの大学院の広告企画に出くわした。

慶應義塾大学が来年、創立150年を迎えるにあたり、新たに2つの大学院を新設すると云う。そのうちの一つが「メディアデザイン研究科」。

丁度明日(7/7)、三田キャンパスで説明会があるらしい。勢いとは恐ろしいもので早速netで事前申込みをした。明日は慶應の三田キャンパスにいるという訳だ。

昔と一番違うのは、技術革新が激しいこと。internetを軸とする社会変革の波を皆が浴びている。netに関わらずにいられない業界では、毎日勉強し続けることだけが、生き延びることに繋がる。逆に、勉強しなければ、おマンマを食えないという「今そこにある危機」に気づいてから久しい。

会社でも大学院でMBAをとる人間がでてきた。絶えず視野を広げ学び続けていきいたい。

この暑さで喉を潤そうと思ったカフェに、新しい未来にふれる機会があったとしたら・・・・。人生には、無駄な時間などというものはないことになる。

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2006年6月15日 (木)

構造主義で組み立てられた自分

大学で仕事する機会に恵まれ、毎日大学へ行くのが楽しい。というのも図書館と学食は僕のサンクチュアリに等しいから。仕事の合間に施設を利用できるというのがなによりうれしい。

お昼休みに本を狩猟する。『図解雑学 構造主義』という簡易本を哲学書の書架で発見。通読。僕が大学で洗礼を受けた思想にその後の自分の人生が支配されていることに気がついた。

Vfsh0124 Vfsh0123_1 ロラン・バルト(1915-1980)というフランスの文芸評論家を当時敬愛していて、そのバルトの思考が自分の土台になっていることに、我ながら驚いた。記号論を判らぬままに読んでいたのが、すっかり血肉と化している。若さ恐るべし。

簡単に言えば、「文学テクストを規定しているのは作者の意志ではなく、作者も知らないテクスト構造」であって、「人間の文化全体が読解されることを待っている大きなテクスト」であるという考え方である。

ロラン・バルトは、確か日本を<表象の帝国>と呼んで愛し、そして何より映画を愛していた。

自分の中にバルトが生きていることを知って、とてもうれしかった。

Vfsh0120_2 Vfsh0121_2 今日のお昼はちょっと奮発(!?)して「タンメン」。280円也。

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