映画「あるスキャンダルの覚え書き」
ケイト・ブランシェットの表情をみてるだけで楽しめる。恋に溺れる女の陰影が見事に描かれてる。恋と愛は別物、ということも描かれる。
「天衣無縫」という言葉。十五歳の教え子と深みに嵌って、観客の支持を得るには、頷ける何かが必要だ。
こういう映画をみていると、日本映画の恋も愛も、最近の監督は経験不足かなと意地悪になる。
この映画は、世界の片隅で愛をささやいている。
その愛が欲望にまみれてようと、ケイト・ブランシェットなら許される。
◎続きはこちらにも ⇒ ●
ケイト・ブランシェットの表情をみてるだけで楽しめる。恋に溺れる女の陰影が見事に描かれてる。恋と愛は別物、ということも描かれる。
「天衣無縫」という言葉。十五歳の教え子と深みに嵌って、観客の支持を得るには、頷ける何かが必要だ。
こういう映画をみていると、日本映画の恋も愛も、最近の監督は経験不足かなと意地悪になる。
この映画は、世界の片隅で愛をささやいている。
その愛が欲望にまみれてようと、ケイト・ブランシェットなら許される。
◎続きはこちらにも ⇒ ●
ときどき見入る恵比寿駅のアドボード。
「35歳からが女は本物!」・・・。
35歳までは偽者かい?
かすかに漂う媚。ちょっと勘弁。
時々思う。
何故、日本人は年齢で人生を測ろうとする?もう○歳だから・・・、とかもう歳だから・・・とか、自分の可能性を封じ込める言葉を使いがち。言葉は意識をリードする。自分の云った言葉通りになる。外国ではあまり日本人のように年齢を話題にしない。日本人がそういう思考をするのは、メディア・レイプされてるせいかもしれない。
かっては若者文化でした。若さに価値を置く文化。それは消費文化。若さに価値を置くシステムはもうひとつある。軍隊。若者をあまりおだててはいけない。彼らは彼らで大変である。
そして35歳。
ふむ。
年齢と共に本物になれるなら人間は楽なものだ。
年齢に囚われず生きる女性は美しい。十代の少女であろうと七十代の女性であろうと。人間の魅力は奥が深いものなのだ。
昔なにかの本で読んだ言葉。
「いい女」というものは存在しない。
「いい男と女の関係」があるだけだ・・・と書かれてあった。
幻想を消費に結びつけるメディア(媒体)のカラクリにもう気づいていい。
それが大人のメディア・リテラシー。ライフステージに基くマーケティングに躍らせられた時代はそろそろ永い衰退期に入ろうとしている・・・。
ビヨンセがアカデミー賞授賞式のステージで輝いてた。
ハートを射抜かれた。感動した。
そこでPSPに彼女の“Listen”をいれて持ち歩くことにした。
電車の中や、仕事の合間に約二分間の特別ロード・ショー。
ボクはビヨンセと共にいる。
時として神さまは、人間の美しさ・偉大さを思い知らせる。
ビヨンセの輝きは、生きる希望を照らし出す。
今はやむなくPSPの小さな画面でそれを味わって、週末には映画館の大きなスクリーンでその輝きを浴びよう。
映画「ドリームガールズ」をよく知らない頃は、映画「フラガール」の姉妹ムービーに思えた。しかし結局それは当たっているかもしれない。
いつも女性は、生きる希望を男性に与えてくれる。愚かな男たちはいつも欲や戦(いくさ)や策謀、争いごとにかまけてばかりいるけれど・・・。
◆ビヨンセの記事を書きましたので・・・⇒ ◎
今日から三月。別れと出会いの季節が始まる。
昨日で会社を辞める女性がいた。いつもの笑顔にお礼したくてささやかなものを手渡した。オフィスの皆のサポートもしてくれ、いつもほんわり穏やかな笑顔を忘れない女性だった。周りの社員からも好かれてた。
「寂しくなるけど、お元気で・・・」そういって記念品を手渡し、仕事先に向かった。そうやって別れはくる。あっけないけれど。
今朝その女性のデスクはきれいになってた。そういうものだ。いつものようにPCを起動させoutlookを立ち上げる。毎朝のメール・チェック。
たくさんのメールの中に、件名:ありがとうございます。とあった。
・・・すてきな贈り物、ありがとうございます。・・・声をかけて下さると心が和みました。お仕事大変なことも多いかと思いますが、どうかお体ご自愛ください。東京のどこかで、かげながら応援しています。本当にありがとうございました。
2007年2月28日 そしてフルネームで署名が。昨日17:05の送信。
「東京のどこかで、かげながら・・・」か。かげながら、という処がいい。表でもいいさ、何の問題もない。そしてこのメールには返信の宛てはない。
旅立ちの季節を感じた。
新しい季節。何か新しいことを始めようとその時、思った。
「45歳の若さで逝った翻訳家で詩人の四条直美が、娘のために遺した4巻のテープ。
そこに語られていたのは、大阪万博のホステスとして働いていた23歳の直美と、外交官として将来を嘱望される理想の恋人・臼井礼との燃えるような恋物語だった。
「もし、あのとき、あの人との人生を選んでいたら…」。
失われたものはあまりにも大きい。
愛のせつなさと歓びが心にしみるラブストーリー。」(引用終り)。
久しぶりに恋愛小説を読んだ。人に勧められた。映画化したらどうか?という視点で読んだ。
映画では1970年の大阪万博をきちんと再現すべきだ。失われた時代の微熱を背景としてる処が面白い。時代そのものの視覚化がほしい。この話の恋は現代の恋よりも制約が多いし、だからこそ恋情が持続するという部分がある。
福永武彦の『草の花』を思い出した。
戦中派の福永氏は死を覚悟した。『草の花』にはその深みがある。『水曜の朝、午前三時』の絶望はそれ程深くない。むしろ恋の甘い香りにひかれて読み進められる。だからこそベストセラーになったのだろう。
『水曜の朝、午前三時』の良さはメロドラマとしての純度。
今の時代の恋は・・・?いろいろな恋があるだろうけど、いまでも恋はゲームじゃなくて生きることなのだろうか?
どうも恋は魂(たましい)の空域から、ファッションや心理や経済の海域に移動し始めてる気がする。
exchangeable(交換できる)な、損得を軸とした経済水域にある恋は、賞味期限もきっと早いのだろう。
その方が魂は傷つかない。痛みもまた少ない。想い出にも残らないはず。
恋人がサンタクロース~♪と歌ったユーミンは今でもそう思ってるだろうか?
この曲が流れた頃。僕は独身で仕事に忙殺されてた。クリスマス・イブだろうと関係なかった。不思議な記憶がある。赤坂TBS前でサンタ姿のケーキ屋の女の子たちの前を急いで通り過ぎた。なぜか覚えてる。まるでガラス一枚へだてて向うの世界の脇を通過する気分。
ユーミンの歌はエポックだった。きっとミーイズムを加速させたと思う。商業主義もね。でも本当はクリスマスはもっと豊かな愛の世界を実現できる日のはず。
欧米ではチャリティーやボランティアの思想が広まっていて、街角のサンタは恵まれない人々のために奔走してる、と聞いた。ニューヨークでも今そのシーズン。ラジオのレポートで知った。
仕合わせな人だけが祝うのは、少し哀しい。
この寒い季節に身も心も仕合わせに至れない人々の存在を知ったなら、大人はそれでも平気に過せるのだろうか?自分だけは良かったって・・・。僕にそれはできない。世界中の人々もまた。
だからずっと考えてた。
sense of ownershipー自分の仕事に対する全権意識。-全て決め、全てやり、全て負う。
経営コンサルタント・波頭亮(はとうりょう)氏の新刊『プロフェッショナル原論』(ちくま新書)の一節。
今まで全部、自分の仕事は自分で造ってきた。成し遂げてきた。そういう星の下に生れた。だから今更僕の仕事に手を貸そうなんて・・・。僕はお願いしていない。
大きな仕事をクライアントから指名で任された。その仕事の契約がまとまる過程で不思議なコトが続いた。それもたった一日にー。
通りすがりに、お金を貸してと頼まれた。交番を紹介した。三時間後また見ず知らずの人に無心された。会社で困ってる人々の悩みを聞いた。彼らは何らかのヒントかパワーを僕から得たがった。それからあるクライアントの仕事を断った。断るなんて、信じられないという感じが辛かった。僕は困った人の力になりたい。けれど僕は僕の時を生きてる。そしてその時間は有限だ。
恵まれた環境を用意して全権を委任してくれたクライアントに対し、僕は忠誠を誓う。自分に賭けてくれたクライアント。もうそれは金ではない。相手のその気持ちがうれしい・・・。だからやる。死ぬ気でね。休みなしでも平気だよ。
厳しい戒律で生きてきた。だから欲目当てで近寄ってくる人間がとても哀しい。内心の声がささやくー「お前はやさし過ぎる。だから付け込まれる。斬って捨てろ」・・・そんなコトができないから悩むんだ。
作家や作曲家がみんな仲良しこよしで創造してるかい?女の人はみんな一緒に出産するかい?
たった一人で生むのさ。来るべき世界のためにね。
プロフェッショナルのそんな心意気を波頭亮は書く。僕はその言葉に支えられ、今を戦う。
そうさ。最高のものを造って必ず自分に勝ってみせる。
セレンディピティ。映画の字幕では“幸福なる偶然”と訳されていた。
JOHN CUSACKとKATE BECKINSALEがNYを舞台に繰り広げるロマンティック・コメディ。これからクリスマスまでの間、観て損はない映画。
運命(デスティニー)について洒落たストーリーが用意されている。若い頃は自分の意志で未来を切り開いていけるものと信じてた。本質は誤りでないけれど、今では少し運命というものを信じてる。
大切なのは、動き回って、走り回って、運命をつくりだす処。
受身ではなく、運命は思い描いたビジョンを形にしていくことだということが、この映画をみていて判る。
運命の人と出会えること以上の幸せは、そうざらにない。そして毎日たくさんの運命の人との出会いがある。運命の糸よ。どうぞ絡まったりしませんように。そしてそれが運命の人だと気づきますように。ね。
アンソニー・ミンゲラはきっと大人の激しい恋愛の経験者に違いない。映画というものは冷酷な位、監督の恋愛指数を明らかにしてしまう。
「コールドマウンテン」(2003)も素晴しい。しかしアカデミー賞9部門受賞の「イングリッシュ・ペイシェント」は格段に素晴しい。
ハンガリー伯爵ラズロ(レイフ・ファインズ)と人妻キャサリン(クリスティン・スコット・トーマス)の悲劇的な恋。ミンゲラはアメリカ人女優のかわりにクリスティンに人妻役をキャスティングした。その結果20世紀フォックスは撤退。何度か休止しつつも完成をみた。そして歴史に残る恋愛映画が生まれる。ミンゲラは恋する女に知性と教養が必須と知って譲らなかったのだろう。
驚くべき描写がある。まだ触れ合ったこともない二人が始めて抱擁するシークエンス。激しい女の平手打ちから始まるその愛の表現を一体どれ程の映画がそれまでに描いただろう?「コールドマウンテン」では、ジュード・ロウと二コール・キッドマンのファースト・キスのシーンが美しい。恋の真実がある。
恋愛の教科書があるとすれば、こういう映画たち。書店にたくさん並ぶ恋愛指南書を読んでも無駄。
恋愛はあなたの人生に書き込む物語。How to で導かれる技術などである訳がない。
送れればー。人生にはそれぞれの秋。
夜明け前の空には、冬の星座が展開してる。映画「ライトスタッフ」でチャック・イェーガーは天空に駆け上る。ロッキードF104で成層圏を突き抜けた一瞬、かいまみる真昼の夜空の星。
イカロスのように失速し墜落するジェット機の宿命。しかし忘れられないその記憶。星の瞬き。
幸せの味は幸せだけではわからない。苦難の秋、逆境の秋も、決して無駄にならない。本当の幸せの味がどういうものかを、後になって教えてくれる。
生きる歓び。生きる苦しみを味わった人だけが命の尊さを知る。お金は銀行に預けられる。けれどあなたの時間は預けられない。あなたの人生の時間の預金は誰も測れない。
あなただけがその時間を生きる。
人間は100%死ぬ。しかし人は生かされている。今の苦しみには全て意味がある。傷みはいずれ輝きになる。
秋の光は世界を等しく照らしてる。
早朝、キャメロンと目が合った。やあ、おはよう。
朝からもう戦闘モードかい?一日は長いよ。マクドで珈琲でもどうですか。
TOKYOではマックと呼ぶけど大阪ではマクドと呼ぶらしい。ドの音が
いいね。コーヒー,please。100円也。この値段で文句をいっては野暮。それとも隣のドトールへいく?
いつも通りのモダン・ジャズ。コーヒー,please。180円也。なあに?量が少ないって?・・・確かに君のいう通り。
では青山のCafe growna growna Tokyoへ行こう。君はスターだから人目につきすぎる。コーヒー,please。340円也。1Drink 1Hour。ネットで少し遊べるよ。
夜明けに君に会ったおかげで、どんどんリッチなカフェにハシゴさ。
日本ではね、キャメロン。夜明けの珈琲には特別の意味があるんだ。
造った。こんなブログのアクセサリーでありペットである。こんなのがあったらいいなあと考えてた。形になってうれしい。
(参照:過去記事⇒ ☆ )
ブロガーが増えてて、マーケティングの世界はとても面白い状況になってる。テレビや新聞などのマス・メディアに加えてwebの世界で生じてる個人の情報発信力がパワーを持ち始めてる。安易にTV広告は死んだ、とはいえないけれどTV広告よりもwebの方が面白いという状況が生れてるのは事実。
ブログマスコットは個人ブロガーが気に入って使ってもらうtool。だから推しつけがましいものであってはいけない。
今回は「心を癒したい」人々向のDVDソフト。だからそういうショットを選んでループにした。何回見ても飽きない、そしてちょっと息抜きできるブログマスコットを考えた。日本で最初のアイデアだと思ってる。大勢の真似する人たちが出てきて欲しい。そうしたらこの形式はスタンダードになるだろう。それを選ぶのはあくまでも個人のブロガーたちであるところが民主主義で、いい。
| 固定リンク
駄目男の系譜。成瀬巳喜男の傑作と謳われる映画だけど、ふ~んこれが傑作?という感じ。森雅之の駄目男。高峰秀子の尽くす女。「花のいのちは短い」時代の物語。
今は昔、大地真央がニッセイのTVCMで「花のいのちは結構長い・・・」と歌ってから久しい。今なら高峰秀子は森雅之をさっさと捨てて他の男と幸せな人生を送るだろうし、そうしてほしい。
仏領インドシナでの思い出が戦後の引き揚げた二人の逢瀬にかぶる。音楽がボンゴとクラリネットで南方風の響き。子供の頃みた「怪傑ハリマオ」というTVドラマを思い出した。時代考証も希薄なイメージはどこかヘンテコリン。けれど「浮雲」が傑作であることに異論はない。駄目な男は魂を失った男の哀しみの姿。女はそれに身を捧げる。最後の高峰秀子のクロースUPを撮る為にこそこの映画はあったと言わせる程の美しさ。全てを捧げて悔いがない女性ほど神々しい存在はない。安住の地が死であったとは。
フェリー二の映画「道」を思い出す。最後に泣き濡れるザンパノ(アンソニー・クイン)と森雅之は兄弟である。共に敗戦国(イタリア・日本)の戦争直後の男の姿なのだろうか。
「秋津温泉」で長門裕之演じる駄目男は、そんな彼らの弟だ。そして全ての男は駄目男ということなのだろう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
いよいよ週末。来週月曜は敬老の日。だからこの金曜は三連休につながる花金。とても貴重な一日。できれば争い事なく、また争い事に巻き込まれることなく過ごしましょう。
昨日うれしかった。言葉の力。ほぼ十年ぶりで再会した人とお昼を共にした。僕が十年以上今の会社で仕事を続けてることに対して、彼はこう云った。
ー十年か。たいしたものです。生き残りましたね。
そういう見方があるのか・・・。きょとんとした。四十代の社長さん。十年前の会社とは違う名詞をお持ちだった。僕は判ってた。だから訊かない。きっと彼は辛酸を舐めたはずだ。人間がひとまわり大きくなっていた。彼もまた生き残ったのだ。
逆境や迫害はあった。日本のリーマン社会はジェラシーでできている。男の方がやきもちやきだ。どこでも同じ。けれど最近はとても仕事がし易くなった。時代が変わったこともある。「辛酸を舐めた?」と訊かれたら「ウイ」と答えるだろう。辛酸も舐めてるうちに味が出てくる・・・。
「十年か。たいしたものです。生き残りましたね」ーその言葉は僕のストーリーを美しく(美し過ぎるくらいに)形容してくれたもの。だから大切にしよう。
自分もまた人に勇気を与えられるコトバの力を磨きたい。そう思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
写真家・荒木経惟(あらき・のぶよし)氏のアラーキーらしからぬ書名。大和書房「だいわ文庫」から2006年9月15日第一刷発行。書店の平台をサーチしててレーダー発見す。
天才写真家の本音がきける。アラーキーは後世に残る天才です。女性の中には受入れがたく感じる方もいるだろう。僕もNo thank youの領域がある。けど凄い。特に女性のポートレイトではドキッとさせるものがある。こわいもの見たさもある。彼の写真には日常の風景を切り取ってもどこかに死の影が射してたりする。要は
最近のコメント