東山魁夷展 詩と旋律
JR渋谷駅のホームで、目を捉えたもの。
深閑とした森と湖。白い馬。
絵画から、音楽が流れてくるようだ。
全ての窓から、違うTOKYOがみえるだろうか?
映像に耳を傾けるー
そんな体験を、「東山魁夷展」で味わいたい。
JR渋谷駅のホームで、目を捉えたもの。
深閑とした森と湖。白い馬。
絵画から、音楽が流れてくるようだ。
全ての窓から、違うTOKYOがみえるだろうか?
映像に耳を傾けるー
そんな体験を、「東山魁夷展」で味わいたい。
日本SGIソリューション・キュービック・フォーラム2008で、黒澤プロダクションと日本SGIと龍谷大学が進めている「黒澤アーカイブ」のDemoをみることができた。
「影武者」と「乱」についての黒澤明監督の創作ノートがDemoの舞台となった。生前には読むことの許されなかった創作の源泉の記録である。再びこの二本の映画をみたいと思った。
映画がつくられる、まず頭の中に。イメージを強固なものにするために、表現の方向性を定めるために。脳裏に浮かぶ様々な思考がノートに刻まれる。誰にもみせないノート。そのノートは40冊程、あるらしい。
これから黒澤明を研究する人々に役立つものとなるだろう。
脚本家・橋本忍氏の著書『複眼の映像ー私と黒澤明』を再び手に取った。この本には、息詰まる創作の戦いが記されている。ひとりでは映画をつくれない。創造と創造の火花が散った処に映画が残る・・・。
そんなことをボクは思った。
最近お気に入りのカフェ。ランチmtgに相応しい広い店内。
RESPE「K」T の「K」を「C」に変えればリスペクト。尊敬。
最近思う。「リスペクトする関係」について。リスペクトする関係のある職場は暖かい。リスペクトを大切にする社会は豊かになるはず。日本人はいつのまにか、狭量でいつも自分に得なことを考え、他人を非難しその分自分をいい位置に押し上げ利を得ようとする民族になり果てたの?
それがグローバル・スタンダードというなら、も少し文化の力で変えたいもの。たかだか二百年位の歴史の国から輸入するコンセプトを二千年以上の文明を育んだ国の文化力で熟成させる。
成果主義とかホワイト・エグゼンプションとか経営に都合のいい概念が輸入されるけど、モラ~ルのこの低下は一体なに?某官庁のあのざまは一体なに~?日本人の持ってた(はずの)倫理観よ、どこいった?それで給料を貰って恥じないのは、すでにかっての日本人ではないのかもしれない。アテネなら、野蛮人(バルバロイ)は、ポリスの外に追放されちゃうよ。
昔、ルイス・ヴェネディクトは『菊と刀』で、日本文化を恥の文化と捉えた。確かこの本は太平洋戦争時、アメリカが対日戦略を練る上で敵国日本を知るために研究された成果だったと記憶する。
その恥の文化が最近、絶滅の危機に瀕してる。含羞の女性の笑みの危機。恥も外聞もくそ食らえの仕事が横行し・・・。
美しい国に醜いことが横行してる。僕はこの国が好き。「恥」もまた世界遺産に登録することになるのか・・・。
リスペクトしあえる関係をつくろうよ。いまからでも遅くない。すっかり日本人ではなくなっちゃう前に。
今一度お互いの関係を豊かにすることに力を注ぎましょう。
ときどき見入る恵比寿駅のアドボード。
「35歳からが女は本物!」・・・。
35歳までは偽者かい?
かすかに漂う媚。ちょっと勘弁。
時々思う。
何故、日本人は年齢で人生を測ろうとする?もう○歳だから・・・、とかもう歳だから・・・とか、自分の可能性を封じ込める言葉を使いがち。言葉は意識をリードする。自分の云った言葉通りになる。外国ではあまり日本人のように年齢を話題にしない。日本人がそういう思考をするのは、メディア・レイプされてるせいかもしれない。
かっては若者文化でした。若さに価値を置く文化。それは消費文化。若さに価値を置くシステムはもうひとつある。軍隊。若者をあまりおだててはいけない。彼らは彼らで大変である。
そして35歳。
ふむ。
年齢と共に本物になれるなら人間は楽なものだ。
年齢に囚われず生きる女性は美しい。十代の少女であろうと七十代の女性であろうと。人間の魅力は奥が深いものなのだ。
昔なにかの本で読んだ言葉。
「いい女」というものは存在しない。
「いい男と女の関係」があるだけだ・・・と書かれてあった。
幻想を消費に結びつけるメディア(媒体)のカラクリにもう気づいていい。
それが大人のメディア・リテラシー。ライフステージに基くマーケティングに躍らせられた時代はそろそろ永い衰退期に入ろうとしている・・・。
深夜のBS2で懐かしい映画をみた。「母の思い出に捧げる」・・・アンドレイ・タルコフスキーの献辞が映画の最後に表れる。タルコフスキーが亡くなって久しい。この世界に最も大切な一本のロウソクがかき消されてしまったような気分を思い出す。
そう。タルコフスキーはもう新しい映画を撮ることはない・・・。
彼の映画をみると映画という概念が拡がる。永らくタルコフスキーの映画から離れてた。魂の問題とは余りにも関係ない映画を映画と思って、たくさん観てきた。つまりちょっと堕落してた。
タルコフスキーの映画をみると、映画は魂の芸術だと告げられてる気がする。
国家を追われ、異国の地(確かパリ)で客死したロシア人芸術家。過酷な運命の中で造られた限られた映画は、今も古びていない。
霧に水、炎、雪・・・自然界の揺らぎが映像の大切な構成要素となっている。宗教画をみてる気持ちにさせる。世界を救おうとする気持ちなど狂った思いにみえてしまう現代にあって、「祈り」という行為をこれ程敬虔に描いた映画を、ボクは知らない。
何回も観た映画だけれど、夜中に起きて、最後のシークエンスを観ていて、ボクは心うたれた。心が浄化される思いを味わった。
亡くなったタルコフスキーの祈りが映像を通じて私たちにバトンとして渡される気がした。
そのバトンを次の世代に渡す営みを、ボクはしたいと思った。
街には初々しいFRESHERS。街角やオフィスで新入社員は注目されてる。そして経済的には“狙われ”てもいる。
フリー・ペーパーを読んで思った。“デキる”フレッシャーズというのがフックになる言葉。
時計、鞄、スーツ、眼鏡、スキンケア・・・誌面からは“買わせよう”オ~ラが立ち昇る。でもね、フレッシャーズに6,3000円のTUMIを薦めるのは罪作り。自立して稼げるようになってから選べばいい。
デキる よりも 立派な大人になることを目標に掲げてほしい。
デキる を追求するだけではエゴが肥大化する。気づけば消費経済の鴨になる。
立派な大人なら、消費経済のカラクリを知ってる。何が自分にとって価値があるのかを見抜けるようになる。文化や教養を高めるための勉強をする。継続してする。仕事がデキるようになるには数年の努力が必要となる。本当の大人はお世辞をいわない。デキるのはまず人間性をみてる。黙ってね。
だからお金は、本と自らの体験に使うべき。時計も靴も普通で充分。
輝かせるのは、モノではない。
その人物を内から支えるintention(意志・目的・意味)がオ~ラをつくる。
自分の能力は自分以上に、人や社会に費やすところに価値があると、いつか立派な大人になった君はわかるはず。
最初が肝心。消費経済、貨幣経済の餌食にならないで。
ビートたけし、あっいや北野武氏が教授を務める国立の映画制作学科。その第一期生の修了作品展が近々開催される。
横浜の地下鉄みなとみらい線・馬車道駅にある東京藝術大学馬車道校舎。
芸術 ではなくて 藝術。昔の銀行の建物が改装されて校舎となっている。
中には立派な試写室もあった。
『四谷怪談』はあの四谷怪談を現代劇に移植した女性監督の力作だった。
黒沢清監督がちょこっと出演してる。そこは全然怖くなかった。けれどじわじわ怖くなり、怖いのがダメなボクは、目を閉じてサウンド・トラックを聴いていた。
だからこの映画を見たとは正確にはいえないけれど、なかなか商業的にもイケル気がした。夏には一般公開されるらしい。
監督の池田千尋さんに紹介された。話すうちに「大先輩ですね」と云われたので聞くと都の西北の大学の演劇学科でボクの恩師に教わってたことが判明。
うれしくもあり、また頼もしい。
女性の方が、パワフルなのか。何かを突き抜ける迷いのなさを感じた。これからの日本映画は、女性監督で隆盛するかもしれない。(男の子もがんばって。)若い才能に出会えることは、本当に楽しい。
そう、お楽しみはこれからだ。 関連コラム⇒ ◎
CAPOTE 端正に黒に小さく白い字で印字される。この映画を支えてるのは抑制。作家トルーマン・カポーティのノンフィクション・ノヴェル「冷血」(In Cold Blood/1965)の取材過程を丁寧に描いた傑作である。
カポーティの原作の映画化に、映画「冷血」(リチャード・ブルックス監督/1967)がある。夜の雨が窓ガラスをしずくとなって流れ落ち、それが窓辺の犯人の顔に投影される印象的な描写を今でも忘れない。それは涙のようにも見え、取り返しのきかない苦悩の象徴にも思われた。
映画「カポーティ」は、カポーティの犯人の取材に伴う内的ドラマが主眼。まるで互いが互いを投影し合うような倒錯。死刑執行なくては結末が書けぬ葛藤も。名声の中、カポーティは「冷血」後、一作も完成させることなく、晩年はアルコールと薬物に苦しんだと伝えられる。
単なる興味本位ではなく、人間存在の闇を覗き込む作家の根源的な業(ごう)が描かれてて秀逸だった。
あのトルーマン・カポーティが人生を注いだ「冷血」を読む気になったのも、映画の果実のひとつに違いない。
心血を注ぐといわれる仕事がある。題名のCold Bloodとは、カポーティに流れる血のことかもしれない・・・。
造ってきたweb siteを、やっと今日Openした。3月末日。
高校生の文化活動を支援するNPO法人様から依頼され、企画から5ヶ月かかった。ひとつの節目が今日。
大勢の人々がかかわった。骨があった。楽しかった。高校生を持つ親として、いまの高校生の置かれてる社会環境を考え調べることもまた、勉強になった。
仕事と私生活が一緒だとあまりストレスにならない。結局四六時中好きな仕事をしていられるのが理想。
今の高校生は将来の日本の宝ー。そんな気持ちを大人たちは忘れてない?ひどいニュースを見聞きする度に、愚かな大人の行為には情けない思いをする。子供たちの荒れる責任の大半は大人にある。
高校時代は多感な季節。将来の希望を抱けるように、応援してあげたい。大切にしてあげよう。そして子供たちが憧れる大人になりましょう。
造ったweb siteは、初めてカッコよさとかを捨て、手づくりの有機的な感覚を大切にしたもの。
息子たちにそっと感想を聞いてみよう。 web site ⇒ ◎
去る27日、植木等氏が亡くなられた。享年八十歳。東宝映画60年代の無責任シリーズを、ビデオ時代に鑑賞した。魅了された。
“平均(たいら・ひろし)”の役名。「無責任男」と云われるけれど、本当はスーパーサラリーマン。調子の良さは天下一品だけど素晴しい明るさ、行動力。
日本映画のウェットな処が全くない。LAのような乾いた空気が流れる東京。植木等氏のキャラは日本人ばなれしていた。
彼の歌声はボクにいつも勇気を与えてくれた。日本的な村社会を物ともしないあのずうずうしさに密かに憧れた。
Barで歌い始めて、キャメラが切返すとど~んとステージだったりする。荒唐無稽というか不条理な東宝喜劇。その素晴しさ。
あの乾いた風の彼方に、植木等氏は旅立ってしまった。
とても真面目な方だったという。
いつまでも忘れません、あなたが演じた不屈の行動力を。
いつも前向きで既成概念を壊していったあなたの活力を。
つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。
惜しい作家が亡くなった。22日午前6時50分。79歳だった。
城山氏は茅ヶ崎に仕事部屋をお持ちで、その窓から湘南の海が見渡せたという。海がみえるマンションを探されたという。
同じ湘南の海に面した街に住んでいて、ひそかに尊敬する作家であった。気骨のある人だった。カッコいいと思ってた。
彼の作品のタイトルは素晴らしかった。『男子の本懐』『落日燃ゆ』『官僚たちの夏』・・・『毎日が日曜日』は流行語にもなった。
執筆に倦むと海を眺めたという。海に向うことで、きっとリセットされたに違いない。
茅ヶ崎海岸に作られた防砂用のフェンスがあまりにも美観を損なうと憤慨し、単身市役所に電話をかけたというエピソードを読んだことがある。受話器の向こうで「城山三郎・・・って、作家じゃない?・・・」と職員同士の会話が聴こえたエピソード。
気骨ある、というのは媚びないことでもある。
六本木ヒルズ族のトリックスターだった若手経営者には卑しさを感じると述べていた。わが息子と持ち上げる政治屋(家?)もいたのに。
経済小説の第一人者と呼ばれるが、真贋を見抜く眼を持ってお金より男子の本懐を見詰めた作家だった。
すべてを過去形で語ることが悲しい。彼の文学はこれからも読みつがれていくことだろう。
つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。安らかに眠ってくださいますように・・・。
日経新聞に連載されてる時に思ったのは、男の身勝手さ。
女の演歌的な造型も、男が造りだしたもの。現実の女性はもっと聡明だから違ったロジックで考えるはず。このような犯罪は頻度としては少ない。
結局、死すべき運命であると男が悟ってないと、こういうまやかしが通る。まるで男性論理。男が思うほど、女性は甘くない(はず・・・。)自信はないのですけれど。
・・・という意見を持ちながら、どう料理するかを見たいから、今夜のTVプログラムを見ます。
高岡早紀がどう演じるか?
結局、ピーピング・トムと変わらない自分が、この「愛の流刑地」を支えてる。
昨晩は神楽坂で遊んだ。
昔の花柳街だった神楽坂は、ちょっと路地に入ると静かな佇まいが残ってる。
親友と静かなお酒を楽しんだ。お店の名前は伏せるけどお子ちゃまやお嬢ちゃまのいないお店はいい。
そのお店で2合くらい飲んでから、蕎麦を食べに別の店へ。夫婦が切り盛りしてる店。その夫婦がいかにも夫唱婦随という感じでよかった。せいろにかき揚。冷酒を少々。
気取った店が増えたけれど、おじさんの目は節穴ではない。
こちらはしっかりみてる。なにが面白くて好ましいかを。
今年はTOKYOの下町を探訪しよう。親友と話がまとまった。
少ないお酒を少ない予算で楽しめる・・・そんな親爺になってやる。
国立新美術館で「黒川紀章展」をみた。
名古屋時代、彼の建築である「名古屋市美術館」によく足を運んだ。自然光が気持ちよく館内に取り入れられ、心和む空間だった。「共生の思想」や「メタボリズム」「花数奇」といった彼のキー・ワードはどこか日本人のDNAに根ざしている。
RETROSPECTIVE OF KUROKAWA KISHO
大きな空間の中で、彼の思考の歴史を辿るのはいい体験だった。
天才は日々秀才である。本当の勉強家である。彼はデッサンを一日もかかしたことがないと以前読んだ。夥しいデッサンを見る機会に今回恵まれた。
世阿弥は「稽古事には一日も体を休ませてはいけない」と云った。黒澤明は「仕事は一日も休んではいけない」と語った。
稽古事や仕事というのは、会社にあるものではない。
黒川紀章の天才は、自らが有限の存在であることを知っている。壊れ年老いる肉体という容器の中で、時と競争してる気がした。
凡才であるボクはもっともっと時間を上手にコントロールしなくては。勉強しなくては。
出口で、日本刀を携えた黒川紀章 さんに気合を入れられた・・・。
神さまは誰にも公平に、時を与えてくださった。それをどのように使うかは、あなた次第。
◎黒川紀章氏のhpはこちら⇒ △
blog<ダーリンのコーヒータイム>は今日で500回目となりました。
素敵な方たちとここで出会いました。人生を豊かに生きるヒントもいろいろ頂きました。皆さまのお蔭でここまで続けられました。

これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
□
さて今日は予定されてた会議がドタキャンに。その空白に、国立新美術館(六本木)を見学した。
有機体のような曲面とうねり。
でも絵画はちょっと負けたりして。
ここがターミナルだったら、面白いだろうなあ。
さまざまな出会い。洋の東西。古典と現代。そして あなたと私が。
【祝400回】⇒ Dietに花束を
「45歳の若さで逝った翻訳家で詩人の四条直美が、娘のために遺した4巻のテープ。
そこに語られていたのは、大阪万博のホステスとして働いていた23歳の直美と、外交官として将来を嘱望される理想の恋人・臼井礼との燃えるような恋物語だった。
「もし、あのとき、あの人との人生を選んでいたら…」。
失われたものはあまりにも大きい。
愛のせつなさと歓びが心にしみるラブストーリー。」(引用終り)。
久しぶりに恋愛小説を読んだ。人に勧められた。映画化したらどうか?という視点で読んだ。
映画では1970年の大阪万博をきちんと再現すべきだ。失われた時代の微熱を背景としてる処が面白い。時代そのものの視覚化がほしい。この話の恋は現代の恋よりも制約が多いし、だからこそ恋情が持続するという部分がある。
福永武彦の『草の花』を思い出した。
戦中派の福永氏は死を覚悟した。『草の花』にはその深みがある。『水曜の朝、午前三時』の絶望はそれ程深くない。むしろ恋の甘い香りにひかれて読み進められる。だからこそベストセラーになったのだろう。
『水曜の朝、午前三時』の良さはメロドラマとしての純度。
今の時代の恋は・・・?いろいろな恋があるだろうけど、いまでも恋はゲームじゃなくて生きることなのだろうか?
どうも恋は魂(たましい)の空域から、ファッションや心理や経済の海域に移動し始めてる気がする。
exchangeable(交換できる)な、損得を軸とした経済水域にある恋は、賞味期限もきっと早いのだろう。
その方が魂は傷つかない。痛みもまた少ない。想い出にも残らないはず。
世の中悪いことだけじゃない。そう思いたいから日常の素敵なことに目を向ける。
きれいだね。
照明が温かいよ。マクドや吉野みたく寒くないから。
偉いな~。
お金かかるだろうに。やることに決めたんだね~。
魔が差す瞬間、踏みとどまれば、人は命を失わずにすむ。
いつまでも「人身事故」のアナウンスしてる、あっ、そこの鉄道やさん。乗客が悪いといつまでもエクスキューズしてないで、「人身事故防止キャンペーン」をしませんか?あなたの事業を支えてきたお客さんが毎年どれくらい死んでます?ボランティアなら致します。
この世の旅を勧める前に、<あの世へ旅立たないキャンペーン>を張らねばね。
知恵を絞れば、救える命はある。
昨日、東京メトロにそう教わった。
携帯のコンテンツで月二回のコラムのタイトルが大人しいから、もっと刺激的で内容のわかるタイトルに・・・と編集者から宿題を与えられてた。
いくつか候補を考えてみた。
①「心と身体の解放区」・・・ココロとカラダの解放区。いつもblogにコメントを寄せてくださるmamiさんから「心の開放場所」になるといいですねと云われ、そこからインスピレーションを得た案。
②「空をみて思うこと」・・・いつもとは違った視点でこの世界を眺め、気づくことを書きたかったので。ちょっと詩的な響きが気に入った案。
③「快楽的静謐生活」・・・エピキュリアン(快楽主義者)の静かな日々~の意。元のコラム名は「チャーリーのスティル・ライフ」で、池澤夏樹氏の小説「スティル・ライフ」のトーンに敬意を表し、静かなる生活を目指したコンセプトはそのままに、もっと刺激的に。でも少しアザトイ案。
編集の方から、一発OKを貰えて、ほっ。「心と身体の解放区」に決まった。
ひょっとすると心と身体の解放区を必要としてるのは自分自身かもしれない。そう思いつつ一本コラムを書いた。1000字を15分位で書き上げる。
シュールレアリスムのオートマチズム(自動筆記法)に倣い、潜在意識がそのまま表現するように。頭で捏ねくりまわさない文章で、人のこころにそっと忍び込めるように・・・。
◎記事12/26/06: 【大人モード】というContents
オリバー・ストーン監督の『プラトーン』を次男坊とDVDでみた。
1986年の作品だから20年経過してる。劇場でみた時のことを思い出す。冒頭のジャングルに射しこむ木洩れ日の厳粛な光。バーバーのレクイエム。オリバー・ストーンのベトナム経験が十年以上経て結晶化し、映画史上の傑作となった。今でも見ごたえがある。
石原真理子氏の自伝『ふぞろいの秘密』を読んだ。
随分バッシングされてる。しかし売れている。読んでみれば真っ当な本。マスコミの愚かさが逆に照らし出される。個人的にはこのように異性遍歴がOPENにされることに抵抗があるけれど、石原さんの女性としての愛の歴史なのだろう。80年代の日本の芸能界がここにきて規制緩和で、白日のもとに晒された感がある。随分ひどいものだ。結局石原氏はいまだに苛めの対象のままである。
『ふぞろいの秘密』は『PLATOON』とどこか通じる。
29日の日没。鳥が風に乗りながら風を遊んでた。
Look at the birds: they do not plant seeds,gather a harvest and put it in barns; yet your Father in heaven takes care of them ! (Matthew 6-26)
港はお正月を迎える準備を終えてた。月が昇り、陽は沈む。
なのに何故、君は思い惑う?
So do not worry about tomorrow; it will have enough worries of its own. there is no need to add to the troubles each day brings. (Matthew 6-34)
何も思い悩むことはない。明日また陽は昇る。
年末最後の仕事で<ほぼ徹>をしてます。いつも携帯してるのPCからのコメントはIP制限でblogにUPできませんでした。そこで、この記事を書くことにしました。)
昨日の事故のことで、皆さまにご心配をおかけしてしまいました。また温かい励ましの言葉を頂戴しました。とても勇気づけられました。本当にありがとうございました。
身体に怪我などなく、ご安心ください。その後しばらく心がクラッシュの瞬間を反芻するので、それを鎮めるようにしました。それは今では鎮まっています。おそらく事故を引き起こした女性の方が僕より深いダメージを受けていると思います。それが気がかりです。
僕のクルマとの関係は、相棒と呼べるくらい深い関係があり、今回のことも、<彼(男です)>は傷ついても文句一ついわずに守ってくれた。そう感じました。逆に傷つけてしまったという痛みが僕の方に残りました。早く修理してあげて前より大切にしてあげよう、二度と怪我をさせないようにしてあげよう。そう思います。修理工場の話によると、乗ってるクルマの安全対策でほどこされた車体側面強度のお陰で、激しく追突されたものの運転席の僕は守られたという説明を受けました。
最後に聖書のことを少し。僕も宗教としてではなく、聖書を人類最大のベストセラーとして捉えています。叡智の書。深いコトバの数々。
今朝はこの言葉が心に残りました。
「パンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。」コヘレトの言葉十一・一
大切なものを空しく無駄にする時がすぎたとしても、いずれ明日に生きる。無駄なことは何もない、という解釈。
辛く残念な事態でもきっと何か意味がある。その片鱗を僕は多分、掴んでいると思います。ありがとうございました。
クリスマス映画として全米で知らない人はいない映画。それ位クリスマス・シーズンになるとTVで放映されてきた。
It’s a wonderful life.
戦争直後の1946年。夫ジェームズ・スチュアート、妻ドナ・リード演じるフランク・キャプラ監督作品。クリスマス・イブに起きる奇蹟はしかし単なるファンタジーではない。
人々を幸せにしてきた善良な男ジョージ(スチュアート)は経済的な破綻で自殺を企てる。そこにクラレンスという名の親爺な天使がつかわされ、ジョージのいない街がどうなってしまうかを、彼にみせる・・・。
生きることの意味、善意、博愛主義を描いてアメリカの良心を支えてきた。最近の『ペイ・フォワード』もこの映画にインスパイアされている。
そんな映画をいますぐヤフー動画でもみれる。こちらをプチッと⇒◎
何度も観た。名作は何度でもその度にご褒美をくれる。原作は短編『The Greatest Gift』。
今を苦しんでる人にこそ贈りたい映画です。
恋人がサンタクロース~♪と歌ったユーミンは今でもそう思ってるだろうか?
この曲が流れた頃。僕は独身で仕事に忙殺されてた。クリスマス・イブだろうと関係なかった。不思議な記憶がある。赤坂TBS前でサンタ姿のケーキ屋の女の子たちの前を急いで通り過ぎた。なぜか覚えてる。まるでガラス一枚へだてて向うの世界の脇を通過する気分。
ユーミンの歌はエポックだった。きっとミーイズムを加速させたと思う。商業主義もね。でも本当はクリスマスはもっと豊かな愛の世界を実現できる日のはず。
欧米ではチャリティーやボランティアの思想が広まっていて、街角のサンタは恵まれない人々のために奔走してる、と聞いた。ニューヨークでも今そのシーズン。ラジオのレポートで知った。
仕合わせな人だけが祝うのは、少し哀しい。
この寒い季節に身も心も仕合わせに至れない人々の存在を知ったなら、大人はそれでも平気に過せるのだろうか?自分だけは良かったって・・・。僕にそれはできない。世界中の人々もまた。
だからずっと考えてた。
昨日二つのweb siteを更新した。自分の仕事に生じたシンクロニシティ(共時性)。
ひとつは世界遺産DVDのpromotion siteの衣替え。スタッフも楽しんで造ってくれた。クリスマス・イブの恋人たちのプレゼントに、という思いから。⇒世界遺産の癒し
もうひとつは、中高生向けの映画コラム。クリント・イーストウッドの『硫黄島からの手紙』を観て、急遽原稿を差し替えた。中高生に是非とも観ておいてほしい映画。観たことが世界遺産になる映画。⇒映画甲子園の“コラム”
人から、いいですね。趣味入ってる仕事ですね、とたまに云われる。ちょっと戸惑う。人には趣味の範疇に自分の仕事は位置してる。映画もwebも。実は「好きな仕事以外はしない」。会社では話せない危険思想。
好きな仕事をするために払う努力と犠牲を人が知ったなら、「趣味が入ってる」仕事とは云われないはず。
でも格好つけなくていい。
確かに趣味は入ってる。
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