2017年8月 3日 (木)

「反脆弱性」上・下

『ブラック・スワン』で知られるナシーム・ニコラス・タレブの『反脆弱性』を少しずつ読みながら過ごしたこの七月。

下巻をおそらく後一週間くらいで読み終えるだろう。

優れた本がそうであるように、読み終わることが惜しいと感じる。

きっとこの八月は、再読するだろう。タレブとともに世界を見詰める八月。

先週、ある大臣が辞任した。同日、ある党の代表が辞意を表明した。この二つの辞任劇をみながら、ボクはタレブの説く『脆さ』を感じていた。

ある大臣は、所属する政党の支持率を大いに毀損した。また省全体のガバナンスを毀損した。責任を曖昧にする言葉。責任を取らない形で責任をとった。

ある代表は、党の支持率の低下、議席減により、責任問題を問われた。幹事長が責任をとる形で辞任した。しかし代わりの幹事長は見つからなかった。責任をとって辞意を表明した。しかし何の責任であったろうか?

ふたつの辞任劇が同日に起こる。与党と野党に。

これは偶然だろうか?

『脆さ』は突然に姿を現したけれど、それまでの道のりは、脆さの石に敷き詰められていたと考えられる。

学ぶべきことがたくさんある。

高支持率を維持してきた政権も、あれよあれよという間に低空飛行する羽目になった。

今日は、その政権の改造内閣が発足する日。

これからの政治を見守ろう。

改造内閣:
Cabinet reshuffle


脆さをシャッフルしても脆さは脆さ。

反脆弱性を獲得できるか?

見守りたい。


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2016年2月11日 (木)

センテンススプリング 

ここのところ、「センテンススプリング」が独走しています。

「センテンススプリング」の報道が着火点となり、TVのワイドショーが長時間報道するパターンが1月から続いている。
時代を「センテンススプリング」がつくっている感がある。(他のメディアはどうしているのだろう?)
芸能界も政界も球界も、「センテンススプリング」が暴く。
庶民感覚を刺激する。
倫理観を問われる行為で、権力の座や人気の頂点から引きずり落とされる過程が、大衆のご馳走であることを熟知している。
昔、「疑惑の銃弾」の連載がありました。
すごい迫力を感じた。
そんな気迫が、今の「センテンススプリング」にはある。
いいも悪いもない。
これは自浄作用の一端を担っている。
さもなければ隠蔽され知らされないまま続けられる世界がある訳だ。
まもなく春が来る。
「センテンススプリング」と呼ばれる春ではなくていい。
すべての人々が謳歌できる春であってほしい。
自ら退場する倫理感もあってほしい。
さもなければ、「センテンススプリング」になってしまうから。

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2015年5月16日 (土)

病気を防ぐ「腸」の時間割 (SB新書)

東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎氏の新書を読んだ。

昭和14年生れの著者、現在75歳。

P47では55歳の頃の著者の写真と75歳の現在の著者の写真を示して、体内時計に従うことの効能を述べている。

やっぱり、長生きして健康でいることが、勝ちだ。

身をもって実践していることならば、参考になる。

腸内フローラ で注目されている腸。

確かに、と思う。

少し前まで、ボクは血管に注目していた。

けれど、に注目していれば、血管もまたカヴァー出来ることを知った。

クオリティ・オブ・ライフ。

毎日を楽しく生きること。

そのために体内時間を上手に使う。

きっと難しいことではない。

毎日の習慣なのだ。

自分の体内で昼夜がんばってくれている臓器にリスペクトして生きよう。

そんなことに気づかさせてくれる新書だ。

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2015年4月28日 (火)

知的生活習慣 (ちくま新書)

九十歳を超えて知的活動している外山滋比古氏の『知的生活習慣』(ちくま新書)を小さな旅のお供にした。

ホテルのバスタブにお湯をはって、バスルームで読み終えました。

(どうかお許しください。)

九十歳を超えて活躍する・・・すごいことだ。

その人の言葉は、しかし飄々としている。

その文体は若々しい。

爽やかですらある。

日々の生活をこよなく大切にしておられるようだ。

もっと云えば、一日をこよなく大切にして生きておられるのか。

流されゆく日々とは違う何か。

自分自身の確固たるスタンス、行動様式がある。

自分自身の流儀。

きっと、人生の流儀 なのだろう。

みなとみらいのホテルで、この『知的生活習慣』をゴロゴロしながら読み終えたことは、きっと善きことなのだろう。

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2014年9月 9日 (火)

人生に必要なものは、じつは驚くほど少ない

タイトルの勝利、といえる。

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あまたある本から購入した。

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●集英社hp

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2014年9月 2日 (火)

HARUKI MURAKAMI

COLORLESS TSUKURU TAZAKI AND HIS YEARS OF PILGRIMAGE

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2014年6月24日 (火)

週刊文春 週刊新潮 その出番なのか?

文屋魂(ぶんやだましい)というのは、もう死語なのだろうか?

テレビや新聞は、もう瓦版 ではないのだろう。

ネットや世論の後を、そろそろついていくかのようだ。

特ダネの時代は、終わってしまったのだろう。

それでは、週刊文春は?

週刊新潮は?

今週は、やってくれるだろうか?

きっと取材してるにちがいない。

何万人もの署名が集まっている。

許してはおけないことが、この世にはあるのだ。

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2014年4月 1日 (火)

伊集院静氏の新社会人へのメッセージ

四月一日恒例の新聞広告が掲載された。

新社会人に向けた伊集院静氏のメッセージだ。

サントリーのこの広告シリーズを、成人の日のシリーズと共に楽しみにしている。

自分もまた四月一日に、新たに社会人になったつもりで読む。

伊集院さんは、こんなメッセージを発した。

『先駆者になれ』

うむ。

心の中に浮かんだのは、自分の新社会人になった頃の思いだ。

野心があった。

先駆者、という言葉とは違うが、イノベーターでありたいと思った。

そう思っている若僧は、上司や先輩からあたたかく迎えられる訳がない。

それが世の常だ。

出る杭は打たれる。

何度、打たれたことだろう。

きっとそれが成長の原動力になったに違いない。

三十代になるまでの十年間は、下積みの苦しい時代だった。

だから、自分の息子たちに、「先駆者になれ」とは言えない。

もっとずるく、したたかに生きていってほしい。

先輩たちの仕事の仕方を徹底的に踏襲し、その過程でイノベーションを起こせる部分は起こし、エクセレントにしていく。

決して、先輩や上司に「先駆者」であると気づかれないように。

トロイの木馬のように、内部をくり抜け。

そう告げたい。

先駆者は最初に傷つけられる存在だ。

大人はそれを知っているから、上手に立ち回るものが出世するのだろう。

そして、若い芽を摘む大人もまた多い。

だから。

「上手くやれ」

でも。

こんなメッセージでは、新聞広告にはなるまい。

しかし、したたかに生きていってほしい。

人生は新社会人が思うよりも長く険しい。

けれど、そこには出会いがあり、喜びもある。

ウィスキーを飲むならば、
さて最初に何が良いだろう?

そんなことを考えさせるこの広告は、やはり良い広告なのである。



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2014年3月30日 (日)

「男の隠れ家」5月号 CAT'S CRADLE

早稲田にあるブックカフェ「CAT'S CRADLE」(キャッツ・クレイドル)の店内写真が、月刊誌「男の隠れ家」を飾っている。

本に出会う

空間、

本と過ごす

時間。

そんなコピーがレイアウトされたその写真をみただけで、中身も確認せずに買い求めた。

そろそろ『男の隠れ家』をつくる時機がやってきたのかもしれない。

「CAT'S CRADLE」のその写真は、書斎のようである。

壁面にふたつ、木製のデスクがある。

壁には本棚が。

ライティング・デスクのスタンドも天井からさがる照明も白熱灯の優しくあたたかい光だ。

仕事帰りに一度、訪問してみたい。

travel books & coffee

旅の本が中心のようだ。

ひとりの時間を過ごす。

心地よい空間。

その空間の造型を参考にしたい。

もちろん、珈琲と共に。

その空間に佇んで。

食べログでは⇒ 

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2014年1月27日 (月)

躓きのない人生 村上春樹さんの多崎つくる君は

『多崎つくる』。

この小説を数回読み返している。

232ページに「躓きのない人生」という言葉が出てくる。

多崎つくるは、自分への他人の評価をそう思う。

興味深い。

人がそのように思うことと、本人がそう思えることとは、天と地程の開きがある。

ボクの場合は?

躓きだらけの人生だ。

躓きだらけの人生。

本当は、誰もが、そうかもしれない。

カウンセリングをしていて、躓いていると思っているクライエントを前にして、誰もが躓いていると思っていますよ、誰もが手遅れだと思っていますよ、といいたくなる時がある。

けれども、あなたは自分の意思で自由に歩き回り、そしてボクの前に座った。

素晴らしいことではないのか、とボクは密かに思う。

ボクは、躓きだらけの人生だ。

けれども、躓く度に、おそらく這い上がってきたのだろう。

だから思う。

躓きだらけの人生でも、いいではないか。

人生の味が味わえますぞ。

涙と共にパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない。

そう、ゲーテも云っている。

いや、そんな味は好んで味わう必要はないのだ。

躓きのない人生を過ごして、
無事に、
無事に、
何事もなく、
人生を送りたければ、それもまた人生。

そう、何もない人生。


それがお好みならば。「躓きのない人生」に、ようこそ。


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