2015年8月18日 (火)

明日に架ける橋

サイモン&ガーファンクルの名曲「明日に架ける橋」を久しぶりに聴いた。

友人がYouTubeのこの曲を教えてくれて、それを観た。

素晴らしかった。

2009年、ニューヨーク マジソンスクエアガーデンで行われた公演の映像である。

発表された当時、ボクは高校生だった。

この曲のシングルを買った。

その時代を生きた記憶。

この曲と共に生きた記憶といっても許されるだろう。

久しぶりに聴いて、判ったことがある。

この曲の“私”は、きっと“音楽”なのだろう。

どのような逆境の時であろうとも、君の傍にいる・・・。

そして、ボクは自らの仕事について勇気を得た。

失業した人々に寄り添い、再就職の支援をする。

ボクもまた、『明日に架ける橋』を信じている一人なのだ。

誰かが支えてくれたからこそ、人は今を生きている。

誰もが、誰かを支えることができる。

そうやって、人は“激流”を渡っていくことが出来るのだ。

そういうことを知るまでに、たくさんの時が流れた。

歳をとることは素敵なことだ。

サイモン&ガーファンクルのように・・・。

●YouTube

| | コメント (0)

2014年11月 7日 (金)

立冬の日に ジャック・ブレルの『涙』

立冬の日に仕事を終えて家路につく。

今日一日をふりかえり、この一週間をふりかえる。

カウンセリングの現場のことは普段は勤務時間に封印して、仕事を終えてから振り返ることはしない。

人々の痛みをしょい込む程、ボクは強くない。

それにあまりに無力だ。

仕事をすればするほど、それがわかってくる。

本当に限られたことしか出来はしない。

それでも・・・。

今日一日支えた人々、その何人かのことが脳裏から離れなかった。

本当に逆境の底にいる時に、ボクが立ち会ったこと、

それはクライエントの瞳をみている時に悟ったことだ。

かすかな希望の光が宿った気がした。

それは気のせい かもしれない。

それはボクのチカラではない。

逆境の底で、人は誰かに出会う。

ボクが逆境の時に、誰かに出会ったように。

そこにボクが、いた。

ただ、それだけのこと。

ボクの見失った希望を、誰かが再び灯してくれた日。

そんな時に出会ったこの曲、

ジャック・ブレルの『涙』。

無力であることの痛みが、希望の光を灯すかもしれない。

立冬の深夜に、再び聴いた。

どうしていいかわからなかった逆境の底で、出会った宝物だ。

●ララ・ファビアン 『涙』

| | コメント (0)

2014年2月24日 (月)

真央ちゃんの『スマイル』

ソチ•オリンピックが終わった。

たくさんの感動を、ありがとう!

そういいたい。

その中でも、真央ちゃんのフリーには心打たれた。

記録(メダル)にはならなかった。
しかし記憶に刻まれる感動がある。

ショートプログラムからのリカバリーというドラマを抜きにしても、アスリートがメダルのためにではなく、自らと自らを支えてきた何かのために、全身全霊を捧げたパフォーマンスだった。

ラフマニノフのビアノ協奏曲二番。

往年の名画『逢びき』(1946)のテーマ曲になった。

モノクロームのイギリス映画である。

この映画から、ラフマニノフのこの曲を引いたら、作品自体が成立しない位の関与の仕方。

『アラビアのロレンス』を撮った巨匠デイヴィッド•リーン監督の愛の古典的名作のテーマ曲を真央ちゃんは選んだ。

そして、全てのプレッシャーから解放されたエキジビジョンでは『スマイル』が選ばれた。

チャップリンが作曲し、彼の『モダン•タイムス』(1936)で使われた曲だ。

欧米の観客は、知っている。

チャップリンの『モダン•タイムス』がただの喜劇ではないことを。

『スマイル』がどのような陰影と深みを、あの映画にもたらしたかを。

真央ちゃんの笑顔、そして、さよならと手をふる姿に、この曲は静かな、しかし隠されたメッセージを伝えてくれる。

チャップリンの映画がそうであるように、生きるということは、捨てたものではないのだ。

ハンディを負ったとしても、生きていさえすれば。

メダルに届かなくても、それにもまして素晴らしいものに魅せられることがある。

チャップリンはアメリカから追放され、辛酸をなめた。復権するまで二十年を要した。

そして今でも世界中の人々に愛されている。


真央ちゃんもまた。

きっといつまでも語り継がれることだろう。

| | コメント (0)

2013年12月26日 (木)

【感謝!3000回】 小田和正さん クリスマスの約束

クリスマスの晩に、小田さんの「クリスマスの約束2013」を観た。

その記事を書きあげてUPした後、この記事がこのブログを始めて3000回目の記事であることを知った。

偶然の出来事だ。

尊敬している小田和正さんの記事と、私ごとの3000回の記事・・・。

そこに必然をみることもできるはず。

シンクロニシティ(共時性)が働いている、そう手前勝手に解釈することにしました。

さて。

小田さんは、クリスマスの約束で、何を果たしたかったのだろう?

それを考えた。

母校、東北大学の混声合唱団と共に歌った『緑の丘』。

その歌が後半の一つの頂点を形成していた。

エンディングロールで、学生たちとアカペラで歌う場面には、グッとくるものがあった。

自分自身の歴史。

東日本大震災という未曾有の歴史。

若い世代とほぼ父親世代の小田さんをつなぐもの。

きっと、若者たちにたくさん伝えたいことが小田さんにはあるに違いない。


同じ時代を生きてきた吉田拓郎さんとのコラボレーションは、《共に生き抜こう》というエールのように受け止めた。

そして中盤、訳詞が忌野さんで歌われた『デイドリーム』の処では、死しても、音楽の中に生きるということを考えた。

今や常連となった若いミュージシャンとのコラボでは、音楽の喜びとエネルギーを感じた。

小田さんはオフコース時代からソロの時代を通じて、自分自身の音楽世界を緻密に、そしてほぼ完璧に、美学的にも音楽的にも極めてきた。

その先に、クリスマスの約束がある。

自分ではない誰かと共に、誰かのために、自身の才能や能力を使うことをしているに違いない。

おそらく、自分という有限の存在を超えようとしているに違いない。

来年のクリスマスの約束が、楽しみだ。

かけがえのない日々を大切に生きる、その先に、クリスマスの約束は、果たされるのだろう。

自分ではない誰かと共に、誰かのために、自身の才能や能力を使う

ボクが目指すのは、他でもない。

自分の心が紡いだこのフレーズに従って生きていくこと。

そう、

あなたと共に、

あなたのために。

あるいは、自分ではない誰かのために。

そのようにして、丁寧に生きていこう。

それが、ブログ3000回目のボクのささやかな決意表明、

そして約束です。

●【感謝!2900回】

| | コメント (4)

2013年12月25日 (水)

Xmasの夜には「クリスマスの約束」を。

小田和正さんの「クリスマスの約束」を、初回からほぼ全て観ている。

つまり、ボクのクリスマスは、自宅で家族とこの番組を観ることが、正しいクリスマスの過ごし方なのだ。

イブの晩は、「のど自慢ザ ワールド」を観た。

寒い聖夜に暖かい自宅の部屋で良質のプログラムを観れる幸せ。

子供たちがとっくに成人し、サンタクロースの役割からも解放されてしまった。

あのバブル期の狂騒も、今では不思議の国ニッポンのイリュージョンのようだ。

ポパイ等で、クリスマスの晩に恋人に贈る高額のプレゼントが特集され、シティホテルの部屋が満室になったという時代。

幸せであったかどうか。

そんな過ごし方をメデイアで煽られる度に、何かが違うと感じていた。

ボクは、むしろ「神田川」の世代の下に位置している。

高度消費社会を、広告ビジネスをしながら懐疑的にみていたのかもしれない。

家族と過ごすクリスマスは、ロッジで待つクリスマスよりも素敵かもしれない。

クリスマスの晩には、「クリスマスの約束」を。

遅く始まるから、残業しても充分楽しめる。

| | コメント (0)

2013年11月21日 (木)

ユーミン NEWアルバム POP CLASSICO

11月20日の朝日新聞をお昼休みに読んでいたら、ユーミンのNEWアルバムの広告が載っていた。

『POP CLASSICO』。

久しぶりのNEWアルバムだ。

最初の曲「ひこうき雲」をリリースしたのも同じ11月20日らしい。

毎年秋になると、ユーミンのNEWアルバムが出て、それを買わなければ、恋愛の現役ではいられなかった時代を、ボクも生きてきた。

いつしか、ボクもそんな時代の現役から引退して、ユーミンから遠ざかっていった。

確か、ユーミンも還暦。

昭和と平成をつなぐ歌姫として、今なお現役なのは、素晴らしいことだ。

今回のアルバム評を読んで、ユーミンは自らを歌に託して、このアルバム作りに臨んでいるように感じられた。

だから、久しぶりに、NEWアルバムを買ってみたいと思っている。

「もう、ユーミンはいいかな」と思うようになったのは、TVでタイアップ曲を聴いたり、アルバムのマスセールスのキャンペーンで、煽られることに食傷気味だったから。

もはやユーミンは、ひとりのユーミンではなく、大勢のクルーに囲まれたプロジェクトそのもののように感じられた。

恋愛至上主義を、高度情報社会において、マスセールスする。

それは、ユーミンではなく、カリスマ・プロデューサーズが仕掛けてきたことのように感じられた。

今の若者たちは、厳しい社会の現実に直面している。

恋愛をするには、難しい時代かしれない。

だから、ユーミンの本当の声を歌の中に、ボクは聴きたい。

このNEWアルバムに期待するのは、それだ。

週末に、ユーミンに向き合うようにして、聴いてみたい。

| | コメント (0)

2013年10月10日 (木)

カーペンターズ

難易度の高いカウンセリングの仕事を続けて二時間半行った後、お昼休みに音楽を聴いた。

iPhoneに入れてある「カーペンターズ」のアルバム。

Yesterday Once More

Superstar

Rainy Days And Mondays

・・・・・・

カレンの歌声が、混乱したこの世界に、あるべき秩序と平和をもたらしてくれる。

そんな感覚をボクは味わった。

それは、村上春樹さんが『多崎つくる』で形容した、あの「乱れなく調和する親密な場所」に位置づけられる歌声だ。

何曲か聴いた。

ボクは混乱した世界からワープし、心に潤いが戻ってくるのを感じた。

カレンのことを思った。

そして、悟る。

彼女もまた、彼女の混乱した世界で歌っていたのだ、と。

カレンもまた彼女の「乱れなく調和する親密な場所」を失って、悲劇的にその若い命を落としてしまった。

歌は残された。

おそらく永遠に残る歌声。

そして、カレンの歌声は、疲れ果てたボクらを慰めてくれるのだ。

カレンの痛みをわかる年頃になって、さらに彼女の歌声の輝きは増す。

生きている、ただそれだけで仕合わせなのだ、と思える朝。

苦しく困難な仕事もまた良し。

三連休まで、あとわずか。

疲れた心と身体には、「カーペンターズ」のカレンの歌声を。

| | コメント (0)

2013年4月14日 (日)

リストの『巡礼の年』

村上春樹さんの最新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読み終えた人が次にしたくなること。

それはフランツ・リストの『巡礼の年』を聴くことだ。

その『巡礼の年』は、ラザール・ベルマンが演奏するものでなくてはならない。

そう読者は思う。

そして特に、『ル・マル・デュ・ペイ』を聴いてみたい。

『巡礼の年』という曲集の第一年、スイスの巻に入っている曲、Le Mal du Paysは、村上春樹さんの小説によれば「静かな哀切に満ちた音楽(引用 P62)だ。

ロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンの弾くリストがどのようなものであるかも、登場人物、灰田の言葉によって語られる。

そして別のピアニスト、アルフレート・ブレンデルの演奏する『巡礼の年』にも言及される。   (P306)

村上春樹さんの小説における音楽は、ただ単に小説を彩るサウンドトラックではない。

テーマを照らし出すもの、あるいは創作の秘密、あるいは、ライト・モティーフ、あるいはイデー・フィックス。

小説の物語世界における重要な位置づけ、役割を与えられている。

なにしろ、この『巡礼の年』は、最新作のタイトルに含まれるワーディングだ。

小説の構造にも、この曲集は影響を与えているかもしれない・・・。

読み終わった読者なら、この『巡礼の年』(ラザール・ベルマンの演奏するCD)を入手しようとすることだろう。

そしてボクもまたそれをした。

今から聴くのが楽しみである。

彼の巡礼の年」が、ボクの『巡礼の年』になるように。

●YouTube  ●YouTube

| | コメント (0)

2013年4月10日 (水)

ユーミン 翳りゆく部屋

昨晩ラジオから、「翳りゆく部屋」が流れてきた。

最初それはユーミンの歌を他の誰かがカバーしているのかな、と思った。

それがオリジナルであることを知り、少し驚いた。

永い歳月、ボクはこの曲を聴いていなかったのだ。

書斎で、持っているユーミンのCDをかけて、「翳りゆく部屋」や「海をみていた午後」等を聴いた。

懐かしかった。

大学時代、そして社会人になった頃、つまり二十代にユーミンと共に時代を生きた世代だ。

荒井由実としてのラストシングルが、この「翳りゆく部屋」で1976年3月の発売だった。

WOWOWのユーミンのライブを観ていて、この曲がプロコルハルムを意識していたことを知った。

当時、親友が、歌詞の薄い曲だよね、といったことを思い出した。

当時何度もこの曲を聴いた。

それは、おそらく恋愛の現役選手であったからに違いない。

恋人と別れて思うココロが、歌われている。

『どんな運命が愛を遠ざけたの?』

運命が主語となり、愛を遠ざけた、と意味づける。

私が死んでも、その愛はもどらない、そう歌う中に、絶望よりも諦観を聴き取った。

そして、生きていこうという静かな思いを聴いた。

故・福永武彦氏のエッセイ『愛の試み、愛の終わり』は、今でも読めるのだろうか?

愛や恋愛を、生きる根源として捉えた時代から、ユーミンの登場によって、愛や恋がカジュアルなファッションに装われた時代へと変わっていった。

けれど『翳りゆく部屋』の荒井由実さんは、愛や恋に生きて、その痛みを歌っている。

もはや戦後ではない日本の青春であったかもしれない。

| | コメント (0)

2013年1月 5日 (土)

ヨイトマケの唄 美輪明宏氏

大晦日にNHK紅白歌合戦をみない自分が、この第63回を観ようと思ったのは、美輪さんの「ヨイトマケの唄」をライブで観たかったからだ。

観れて良かった。七十七歳の美輪明宏さんだ。

その渾身の「ヨイトマケの唄」。

SMAP・木村拓哉さんが「親が子を思い、子が親を思う、無償の愛の歌をお届けします」と紹介した。

曲が終わると、木村拓哉さんの眼にも光るものがあった。

何度も聴いてきたこの唄から、今回、ボクは「労働」についての普遍的な摂理(プロビデンス)を感じとった。

「父ちゃんのためなら エンヤコラ

母ちゃんのためなら エンヤコラ」

その掛け声に始まり、

「子供のためなら エンヤコラ」

その掛け声で終わる。

誰かのためにする労働が、位置づけられる。

子が親となり、今度は我が子に労働を通じてしていること。

食わせ、育て、独り立ちできるようにしていくこと。

勉強する、という言葉が歌の中盤で出てくる。

勉強させ、高校、大学を出すのは、自分のチカラで食っていけるようにするため。

食うための勉強。

曲作りのエピソードをWikipediaで知った。

当時シャンソン歌手として活躍していた美輪さんは、炭鉱労働者が客席を占める炭鉱町でのコンサートで曲作りを決意したと云う。

労働者を歌う楽曲づくり。

この名曲が生まれたのは1964(昭和39)年、東京オリンピックの年だ。

ニッポンは高度成長期を迎えていた。

歌は時に魂(たましい)に染み入る。

2013年が始まるこの季節に、労働の意味を、今一度「ヨイトマケの唄」は教えてくれた。

●YouTube ヨイトマケの唄 美輪明宏

| | コメント (0)

より以前の記事一覧