2023年12月12日 (火)

ビジネススクールに入る

今週末からビジネススクールに通うことにしました。夏には地元藤沢の商工会議所で開催された創業塾で約3ヶ月学んだけれど、自分のキラーコンテンツが明確になるところまで辿り着けませんでした。

自分のプランを相談できる相手が必要でした。

思いきって高額の授業料を支払い、これから1年間、新たに事業化に取り組んでいこうと思います。

沢山の書籍も買い勉強しましたが、自分がこれであれば成功するであろうという確信がほしいです。本には上手く行くことが沢山書かれていますが、私の欲しいのは、ロジカルに駄目だしする専門家です。

学んできて、起業の専門家というのは実は少ないことに気がつきました。指導を仰ぐ方の成功体験と失敗体験で専門家であるか否かを判断することをお勧めします。

どこまで出来るかわかりませんが、もうルビコン川を渡るところまで来ました。

渡るのみです。

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2017年6月30日 (金)

六月の終わり 適応について

今日で六月は終わる。一年の半分を終えることになる。

梅雨らしい一日になりそうだ。仕事を始める前に六月を振り返っておこうと考えた。

「適応について」考える。

新しい職場で四月から仕事を始めた。

三ヶ月が経過し、様々な事柄に適応してきた自分がいる。
仕事への適応だけでなく、新しい街への適応、通勤を含めて生活全体の新しい流れに対する適応。

人間の適応力はなかなかのものだ。

それと共に過去を忘れていく。忘れることもまたこれからを生きるためには必要な能力なのだろう。たくさんの過去を忘れ、これからのことに希望を持つ。そのような心のあり方が、目下ボクの目指すことなのかもしれない。

いつの間にか「人生100年」という表現が使われている。
100年生きることは、まだまだ当たり前ではない社会の中で「人生100年」だ。

一日をしっかり生きる。
そのようなことを考える。

明日のことをあまり当てにしない生き方。
そのようなことも考える。

一日の中に全てが凝縮している。
すべてのことが。

このような書き方をしていると、次男坊に「ポエム」といわれかねない。「ポエム」といわれると、なんだか恥ずかしい。

なので、この辺で今朝のブログは締めくくろう。

「適応」とは、生きやすくすること。

そのように今のボクは考える。

生きやすい日々を人が生きて、何の不足があろうか?

生きやすい基盤が少しずつできてきたこの三ヶ月。

七月に入っていこう。


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2017年6月 8日 (木)

五年前の自分の言葉に

少し感動した。

FBの過去のふりかえり機能が働いて、今朝五年前の記事を読んだ。

■2012年6月8日

入社して二度目の金曜日が終わろうとしています。新しい職場の日々をこのように記すことは今日で終えようと思います。これから様々な事が日々起こり、注目される新人は独り立ちして仕事をこなすようになることでしょう。“新人”・・・そう、ボクはこの歳にして新人なのでした。様々な人々から気が付かない処で、みられていることに気づきました。一人の新人は、そのように組織の視線にさらされて、ある視点で評価され、あるいは正され、組織に順応していくのです。そしてもうひとつの視線、それはお客様の視線です。360度、みられている自覚が必要だと考えました。だから、ボクにとって仕事場はステージなのです。シェイクスピアがグローブ座で彼の芝居を上演したように、ボクは役者として新しい職場で演じる決心がついています。心の中で、すでにルーキーではない自分。そんな自分に出会えた金曜日です。みなさま、どうぞ良き週末を!

初めてこのようなキャリアカウンセラーとしての第一歩を踏み出した頃の自分に出会った気がする。

自分のことを新人と自覚している自分。

なんだか初々しい感じがする。

翻って今は4月に新しい職場で“新人”であるはずなのに、新人扱いされず、“新人”の教育係を託されている自分がここにいる。

それもまた“新人”の別の在り方か。

360度、みられている自覚。

仕事場はステージ。

そんなことを考えながら、「すでにルーキーではない自分」に出会えた金曜日を迎えた五年前の自分は、やはり十分ルーキーなのだ。

そんなことを“古参兵”になったルーキーは考える。

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2017年5月27日 (土)

上機嫌でいること

たぶんボクはいつも上機嫌でいようとしています。「上機嫌でいること」は大切です。生活信条のひとつといってもいい。確か「幸福論」の著者アランが上機嫌であることの美徳を説いていました。そんな自分が、そうではない人と一緒にいるとどのように感じるか?その考察です。

上機嫌ではない人。あるいは不機嫌を表現する人がいます。挨拶しない人もいます。不機嫌であったり、挨拶を返さないことを自己表現にする自由は平和な社会にあっては守ってあげなくてはならない自由のひとつです。

人を不愉快にさせるという点において、それは素敵な自己表現ではありませんが。

不機嫌であることの自由、挨拶を返さない自由、あるいは無視する自由を認めつつ、ボクはそのような人々の行動原理を考えます。

しかしここでその行動原理については語りません。かなり推測可能です。しかしそれを文字にすれば身もふたもない話になりそうです。

無意識にそのような態度をとるとすれば、人は様々な局面でそのような行動様式を反復しているでしょうし、それらが愛されるかといえば、ちょっと難しいアティチュードです。むしろ「私はあなたが嫌いです」という意志の表明ともとらえられ人から嫌われる原因になる確率は高いと考えられます。好きになるのも嫌いになるのもこの平和な社会にあっては個人の自由です。大いに好きになればいいし、大いに嫌いになる自由もあります。

しかし「嫌いだ」と表現しない自由もまたあります。

心ある人は不機嫌な人、挨拶しない人、無視する人に接すると、それは何故だろう?と考え始めます。

それは、罠(わな)にハマることなのだと、ボクは考えます。答えのない迷路に自ら入るべきではありません。相手の罠に入るよりも、相手を罠に誘うことを考えるべきかもしれません。幸せになれる罠を・・・。

不機嫌な人、挨拶しない人、無視する人の自由を心から支持しつつも、そのような人から離れるようにすべきだと今のボクは考えています。

「それは何故だろう?」と人に考えさせるような形の罠。

その企みを上手に無視できるような大人になりたい・・・。

自分のエネルギーを無駄に収奪されないようにすることは本当に大切です。

そのようなことを上手に出来ないからこそ、この文章をボクは書きました。

「静かな生活」は、むずかしいけれど取組む価値がありますね。

ふう。

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2017年5月25日 (木)

カウンセリングをしていて 不安や心配ごと

クライエントから様々なお悩みを聞く仕事に就いていて、目の前のクライエントが不安や心配ごとを連綿と語り始める機会が時としてある。決して少ないことではない。そんな時に不安や心配ごとの発生プロセスはどのようになっているかを考えることがある。一言で云えば、不安は不安を呼び、心配は心配を呼ぶ。意識の大半を不安や心配ごとが占拠してしまう。小さな火事が燃え広がりあっという間に大火になってしまうような感じだ。大火になってしまうと鎮火は難しい。火の手が小さい時に消化活動をして事なきををえることの方が望ましい。不安や心配ごともまた同じように思える。不安や心配ごとを解決しようとするよりも、まずは不安や心配ごとに自分がジャックされかかっていることに気づくことが、消化活動の第一歩ではないかと思う。

生きていて、不安や心配ごとのない人間がいるのだろうか? 世界は広い。そんな人々がいるかもしれない。動植物は不安や心配ごとを抱えて生きているのだろうか?興味深いテーマだ。不安や心配ごとに心が占拠されているのは、心のある一つの状態であろう。その時人は不安や心配ごとに意識を集中している。次から次へと思考は磁石のように不安や心配ごとを検索していく。

そんな時、そのサーチする検索エンジンを切ることができれば。

操縦桿を手放し、自分が操縦していたはずの飛行機がダッチロールを始めたとき、「どうしよう?どうしよう?」と感じている状態。

そう、操縦桿は最後まで手放してはならないのだ。

人は「何も考えない」ということを教わらずに義務教育を終えてしまうのかもしれない。学校では「よく考えるように」ということを教わる。しかし「数分で考えられること」を教わらず、延々と「考えているような」感覚に身を置くことが考えるということだと思っている。思考はスパイラル構造になり下降していく。かくして、不安や心配ごとに心は占拠されてしまう。

自分自身を実験台にし、観察してみよう。不安や心配ごとの根っこにあるコンセプトを論理的に把握できれば、対策をとることができるはずだ。

解決できないことを悩まないためには、そのような取組みが必要だとボクは考える。

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2017年4月 1日 (土)

会社を後にして(上手な辞め方があるとして)

1月30日に、いきなり「戦力外通告」を受けてから2月に有休を使って就職活動をした。運良く28日後に内定をもらった。そう2月27日(月)16:44に内定の電話連絡をもらった。・・・村上春樹流に云えば「やれやれ」という処か。いきなり「戦力外通告」を食らうという初めての経験。こんなに簡単に「契約の更新はしない」と云われたこと等なかった。その代わりとして、別のポストの打診があった。しかし、その場でボクはこういった。「晴天の霹靂なので、今は何ともお答えできません」と。しかし心の中では即決していた。この組織を後にしよう。さようなら・・・と。ボクはどうも尻尾の振り方が上手ではない。媚びることが上手くない。だからこのようなことになったのだろう。組織の来期の予算の関係でお役御免となった。後で知ることとなったが、何人かはそのようなことになった。組織は人の気持ち等考えていない。考えることができるならば、このような組織にはしない。ボクはただ単に雇用の調整弁に過ぎない。 おそらくは昨年の12月中旬には決まっていたことだろう。もっと早く云ってくれたなら、こんなにバタバタとしなくてもよかった。ボクの中でも、ここから別の処へ移りたい・・・。そう思っていたのだから。そのように、寿司屋の職人さんのように思っていた。もっと自分を大切にしてくれる寿司屋を、ボクは必要としていた。どのような経緯(いきさつ)があるにせよ、物事は単純化した方が良い。一言、「クビになった」のだ。人生初めての屈辱・・・。きっとボクはその日を忘れない。そこから短期間で立ち直り、次のボクを必要としてくれる会社と出会うために求職活動して、新たな出会いを得ることができた。「ふう・・・」。村上春樹流に云えば、そんな感じだろうか。

本当は、さっさと辞めたかった。自分の中で山口百恵さんの「プレイバック Part2」の歌詞の一節がリフレインしている訳だから、さっさと辞めて次に備えた方が自然だったろう。けれど家族の考えは違った。まだ社会人一年生の次男坊から、このようなことを云われた。「最後まで働ければ、新しい風景が見えるかもしれないよ」。うむ。なかなか含蓄に富む言葉だ。ボクはそのようにして3月一ヶ月を過ごした。有休はほとんど就職活動で使い果たし、最後に7時間、残った。残った7時間を最終日の3月31日(金)に行使した。出社して30分間にしたことと云えば、PCのデータを消去したりデスクを綺麗に拭いたこと。そして始業前に親しかった仲間たち、組織の様々な階層の人々に挨拶をすることだった。最後にボクは笑顔で感謝の気持ちを伝えることができた。たくさんの笑顔を、ボクはみることができた。様々な辞め方がある。けれど、僕はきっと最良の辞め方をしたのだろう。全てが終わり、ボクは会社を後にした。その解放感。ボクは自らこの組織を辞めることは出来なかった。辞めさせられるという形で、潜在的な願望を果たすことが出来たのだろう。望んでこのように大変なことを、今のボクは出来なかった。そして・・・。人生で6回の転職をして7つの組織を知った。今度が最後だ。今度は、自分の意思で辞めよう。組織で生きる生き方から、別の行き方を選ぶイニシアティブは、ボクが握る。
そのような3月31日を、ボクは過ごした。

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2017年2月27日 (月)

内定を得た晩に

夕方、内定を得た。

突然の「fired」という経験を人生で初めてして28日目。約一ヶ月。
ボクは今までのキャリアコンサルタントとしての全知全能を尽くした・・・のかもしれない。
きれいごとを記すのは止そう。ダッチロールするジェット機の操縦桿を最後まで離さなかっただけだ。気持ちの良い時間ではなかった。しかし機内には愛しい家族がおり、その家族たちは静かに声援をおくってくれた。同僚たちも静かに支えてくれた。
この世界には、奇跡に似たようなことが起こる。
そういうことを今回も体験した。
「針の穴をラクダが通るよりは、やさしい」ことをボクはした。
一年前にボクの支援を受け就職を決めた人から奇しくも今日電話をもらった。
一年間その仕事に従事して、幸せそうな声を聞くことができた。
でも本当は、その声を聞いてるボクの方こそ幸せで一杯になっていたことを相手は知らない。
その時、ボクは自分の身に起きる何時間か後の幸せを、まだ知らない。
充分 ではないか。
力を尽くして困った人々を支援する。
その仕事をこれからもしよう。
それが出来るチカラの証明を、きっと神様は今夜ボクにプレゼントしてくれたのだ。
ありがとう。
謙虚に。厳粛に。
一歩一歩、歩んで行こう。

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2017年2月22日 (水)

面接選考で

30分でこんなに質問を浴びるとは・・・。面接官の真剣さが伝わってきた。面接官の真剣さに拮抗するだけの真剣さをボクは示せたか?

おそらく 多分。
何かを伝えることはできただろう。
ラポールが成立しているか?否か?
面接選考を月曜日から立て続けに4つ受けた。
全くラポールの成立しない面接選考もあった。最初から自分は「当て馬」だとわかるような面接選考は、しかし傷つくもの。無関心を突きつけられることの無意味さ、お金と時間を費やしたこちらとしては、残念な面接だ。
このような面接選考があるかと思えば、心が温まる選考もある。
この人たちは、まともだ、真っ当だと思える時。
真剣にいい人材を見極めようとしている時。
今日は、チカラを出し切って帰ってきた。
うまくいかなかった処がいくつも思い浮かぶ。けれどこちらの思いは荒削りだが伝えられたかなと思える印象も残った。
そのような面接選考を経験できたことを、うれしく思える。
選ばれなかったとしても、今日のことはおそらく記憶に残る。
ボクもまた、こんなに真剣なのだと悟った日。熱い思いが流れた日。
きっと神様は、微笑んでいるはずだ・・・。

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2016年10月 6日 (木)

「就職できるのか?」

失業した経験があるならば、果たして自分は就職できるか?という自問の重さをわかるはず。ボクも数年前そのような固定観念と戦っていた。「就職できない」という事実を受け入れる訳にはいかなかったので、必死に求職活動した。沢山の失敗をした。けれど同時に沢山の人から支援してもらった。沢山のことを学んだ。そして沢山の夜を越えて再就職した。キャリア・コンサルタントになった今の自分の萌芽はここにある。失業や「どうしていいかわからない」経験をしていないキャリア・コンサルタントもいるだろう。経験が全てではない。けれどボクは思う。確かゲーテの言葉。涙と共にパンを食べた者でなければ人生の味はわからない・・・。「どうしていいかわからない」。これを乗り越えるには、自分ではない誰かの智慧や支援を頼むべきだ。人はたった一人で生きている訳ではないし、渡る世間に鬼もいようが神もいる。そのような経験を経て人は再び仕事にたどり着く。必ず就職できる。そう断言できる。但し求職活動すればの話だが。そのようなことを今日もまたあるクライアントにした。希望することが出発点だ。この世界は望めば与えられる。希望を行動に変えれば。

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2016年6月26日 (日)

キャリア・コンサルタント とは?

毎日毎日失業している人々の支援をしてきた。そんな日々を過ごしてきて、まもなく営業日で千日を迎える。あと二人面談すれば、面談数は五千回になる。やればやる程、奥の深さを感じる。自分のやり方もまた変わって行くのがわかる。ボクが支援しているのは、一言でいえば「どうしていいかわからない」と思っている人々だ。ボクは寿司職人のようにネタを握る。希望を巡る思い、少しでも穏やかな雰囲気、そして明日も頑張ろう、そう思ってもらえるように。昔、大江謙三郎が記した「厳粛な綱渡り」を、ボクはボクの岸辺でやってきた。そしてこれからもやっていく。そんなボクが先週末に感じたことを記します。知り合いに話していて、ほう、自分は今そのようなことを考えているのかとわかったことです。

就職してナンボでしょう。
カウンセリングし受容する。けれどそこで止まってはいられない。結局、失業しているポジションから職を得て初めて新しいステージに移れる。
今のボクは、どのようにすれな就職できるか?就職という客観的に確認できる領域でクライアントを支援したいと考え行動している。
その意味で、カウンセラーではなく、コンサルタントになり始めている。
コンサルタントという言葉は嫌いだった。その言葉には常に「いかがわしさ」がつきまとっている。今でもそう感じる。
けれど就職するということは、厳然たる事実だ。
ボクは、クライアントが就職していく支援をしたい。だからきっともはやカウンセラーの領域から踏み出している。新しい領域へと。
きっと必殺仕事人 なのです。

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